ここでキスして





 真実は、いつだってひとつだけだ。

 その過程がどうであろうと、気持ちが背景がどうであろうと。











 ・・・・俺は、その犯人が成しえようとする企みを解き明かす。





















「俺はさ、ただトリックを見破るのが好きなんだ」













 必ず存在する原因と結果。

 自分の頭脳を駆使して難問をクリアーした時の、あの何とも言えない達成感。



 それは、ぞくぞくする程に気持ちが良いいものだ。











 新一は、窓の外を見ながら手元のアイスコーヒーを飲む。



 あいにくの雨。

 まだ3時だというのに、雲は厚く薄暗い。















「俺もや」







 向かいの席に座る平次が、軽くため息を付いた。

 ─────────・・・・・・いつになく、後味の悪い事件だった。















「せやけど関わるのを止められへん。そやろ?」

「ああ」

















 そう。



 一度味わってしまった、見破った時のあの恍惚感とも言える感覚。

 あれを知ってしまってはもう止める事なんて出来ない。





 次から次へと求めてしまう。

 それは、まるで麻薬の様に。













 でも。

 解き明かした達成感と比例して、浮き彫りにされる背景。







 どうして殺してしまったのか。

 何故、殺さなければならなかったのか。



 必ず存在する『真実』。

 その殆どに、悲しいまでの想いが込められている。 















「変な奴やな。お前が俺に教えてくれたんやろ? 『推理に、個人の感情は持ち込むな』て」

「・・・そうだな」















 いつだって冷静な判断をしなければ、事件は解決しやしない。

 どんな些細な出来事も、漏らせない。



 感情移入は邪魔なだけなのだ。







 そんな事は新一はもちろん、解りすぎる程に分かっている。

 そして、平次ももちろん。



















「悪い、なんか気分滅入っちゃって・・・・・・雨のせいだな」











 自嘲気味に微笑い、目の前に運ばれたパスタに意識を移す。

 窓側に配置されたこの席は、打ち付ける雨音が必要以上に耳に響く。











「全くや。ガラにもなくセンチになりおって」 

「聞き捨てならねぇなぁ・・・・・絵になるだろ、俺の悩める姿は」

「自分で言うとったら世話ないわ」

「・・・・・・とか何とか言っちゃって、赤いぜ? 顔」











 合間にアイスコーヒーを飲みながら、新一はちろりと平次を見た。







 二人の会話は隣の席の人間にも聞こえないくらい小さな声。

 生憎の雨のお陰で、それは更に掻き消される。



 端から見れば、単なる友達同士のなんて事ない食事風景。















 ・・・・・・けれど、この二人には他の誰にも明かせない秘密があった。 





















「うっさいわ。黙って食え」

「相変わらず俺に夢中だねえ」















 ますます顔を赤くする平次と、言ってる自分もほのかに紅潮する新一。

















 誰にも、言えない。

 言うつもりもない。



















 ひょんな出逢いから始まった二人。





 幾つかの年を経て。

 その間に流れる空気は、いつしか恋愛感情に変わってしまった。





























ひとくぎり

































 ・・・・・始まりも、雨だった。





























「あれ、服部」

「工藤?」















 渋谷の交差点。

 途切れることのない人の波。



 その真ん中で、不意に目が合った。



















 ・・・・・・・キザな言い方をすれば、これが運命だったのかもしれない。



























「珍しいな。お前が一人なんて」

「いっつも女と一緒やと息詰まるやろ?」

「・・・・・まあな」 













 お互い適度に有名なお陰で、大学に入ってから女に困った経験はない。

 ・・・・・でも。



















「服部、車?」

「・・・そやけど」

「送って」

















 横断歩道を渡り終えると、新一はその得意の視線を目の前の男に投げかけた。

 はーっと肩を落とし、平次は溜息を付く。













「・・・・俺に色目使うてどないすんねん」

「男にも効くかな、と思って」

「は?」

「車、どこ?」













 なにかとんでもない台詞を聞いた気がする。

 でも、新一は只くすくすと微笑うだけ。



















 知り合って数年余り。

 知れば知るほど解らなくなる、工藤新一。 





 ・・・・そして、解らないほど興味をそそられるものは無い。



















 小悪魔的な笑みを放つ新一の表情から、思う通りの心を読めた試しがない。





 探偵としての性分なのだろうか。

 ・・・それとも、単なる自分の欲求なのか。

















「何だよ、早く行こうぜ」





















 ────────・・・・・もっと、知りたい。





















 それは恋愛感情なんかじゃなく、ただの物事に対する追求心みたいなもの。

 確かに、この時はそうだった。























 ・・・・そう。



 この後、あの出来事が起こるまでは。





























「腹、減ってへんか?」

「・・・何これ」

「くるみゆべし。オカンが親戚にもろたとかで、送ってよこしたんや」

「へえ」









 乗り込んだ平次の車のフロントに転がっていたのは、奥州藤原の『くるみゆべし』だった。

 羊羹の中に、胡桃が細かく入っている。



 新一は、ひとつを手に取り口に運んだ。 











「うまい」

「せやろ。まあ、俺にはちょお甘いけどな」









 確かに甘い。

 飲み物無しで食べるのは、ちょっと辛いかもしれない。



 だんだんとその甘さに耐えられず、最後の欠片を口に放り込んで飲み込もうとした。

 その、時だった。













「・・・っ!・・・・・は、服部、飲みもんねえか?」

「どないした」

「・・・・っく」











 サイドブレーキに手を掛けた時に、突然新一が喉を押さえて変な声を出した。

 そして胸をどんどんと叩き始める。













 ・・・・・シャックリだった。























「はははは! アホやなお前!」

「う、うるせえ・・・・っく」

「シャックリって、一日中止まらへんと死ぬんやて」

「え!?」











 ビックリ眼で振り向かれて、その新一の表情に平次は一瞬心臓が止まった。























 ────────・・・へ?



















 平次は、自分に起こった状況が理解できない。



 見慣れているはずの新一の顔。

 何故か、視線が離れない。











「お、おいってば!」

「・・・・・・あ、スマン」











 声を掛けられて我に返った平次は、後部座席から自分のカバンを取る。

 その中から飲みかけのペットボトルを出し、それを新一に渡した。











「これでええか」

「さんきゅ・・・・っ」













 もぎ取ると、ものすごい勢いで飲み出す。

 半分くらいしか入ってなかったので、あっという間に無くなってしまった。



 はー、と新一はひと息付く。

 やれやれと平次が気を取り直して、再び左手をブレーキに掛けた。













「・・・・ひっく」

「あん?」











 新一は、口を押さえて平次を見た。

















「はは・・・止まってないや」





















 車は走り出す。

 だが暫くしても、新一の口からシャックリは止まらない。















「おえ・・・平気か?」

「ちょっと、苦し・・・」













 ちらと見ると、新一の瞳にうっすら滲む涙。

 規則的に聞こえるシャックリ。





 ・・・・・・辛そうだ。















「おい、どうにかしてくれ・・・っ・・・」

「・・・・どうにかて」









 こっちだって、そのシャックリが気になってしょうがない。

 無茶なことを言う新一に構わず首都高に入ろうとした時、前に大阪の友達から聞いた事を思い出した。



 だが、平次はそれを言いたくない。

















 ・・・・・・・いや、言えるはずがなかった。























「何だよ・・・その顔、何かあるんだろーが」

「へ? あ、いや・・・せやけど」











 目ざとい新一が一瞬の平次の表情を読んだ。











「死んだらどーしてくれる。教えろ」

「・・・・・・信じとらんクセに」













 そりゃあ平次だって教えるのは構わない。

 ただ、それは一人じゃ実行できないのだ。



 しかもホントにそれが効くのかも解らない。





















 ───────・・・・・・女相手だったら、いくらでも試せるんやけどなあ。

























「・・・・服部!」







 新一がだんだん悲痛な声を出し始めた。

 どうやら、止まる気配は無い。





 もう会話する気力も無いらしく、ただその視線は平次を睨む。

 その瞼が上下する肩と共に閉じられた時、いきなり車は車線変更して路肩に止まった。





 突然の揺れにバランスを崩した新一は、口を押さえながら平次を見た。













 シートベルトを外して迫ってくる影。

 それは新一の腕を掴むと、ぐいと背もたれに押しつける。





 雨のせいで薄暗い車内。

 至近距離に、何故か平次の目を確認する。

















「な、何だよ」

「言うとくけどな! 後で蹴り入れたらしばくぞ!!」

「え?」

「───────・・・・・目え閉じや」 



























 ───────────────・・・・・・!!???





























 ・・・・何が、起こっているのだろうか。

















  新一はビックリしすぎて頭が真っ白で、目を閉じる所ではなかった。





























 これは、キスか!?



 ・・・・何で、俺は服部にキスされてるんだ??



























 放心状態の新一は息をするのも忘れていた。

 それに気が付いた時、平次が少し唇をずらし自分のそれから離れた。



 新一は、一瞬の空気に大きく息を付く。















 ・・・・・・しかし、平次は角度を変えて、またその生暖かい感触を押しつけてきた。































 おいおいおいおい!!!



 何だってんだよ!? コレはどーいうことだ???

























 シートベルトをしていたので身動きが取れない。

 腕も押さえられ、しかもその力が強くて引き剥がせない。











 ――――――――――・・・・雨が相変わらず窓を打ち付けていた。



























「・・・・・ひゃく、と」









 暫くすると、意味不明の言葉を漏らして平次が離れた。

 腕は押さえつけたまま、新一の大きく見開かれた瞳を見る。













「・・・・・」

「な・・・・・っ・・・・」

















 お互い動かない。

 特に新一は、口を押さえ顔が真っ赤だ。



 そうして数十秒は過ぎた頃、ついに平次が口を開いた。













「・・・・・・止まったようやな」

「何がだ!?」









 訳解らない事を言われ新一が声を荒げる。

 平次は腕を離して、身体を運転席に戻した。









「何言うてんねん。シャックリや」

「シャックリ?」

「止めてくれ言うたんはお前やろ」

「キ、キスがか!?」











 その新一の嫌そうな表情。

 あまりにも平次の予想した通りの反応で、つい笑ってしまった。











「そうや。『シャックリは、誰かとキスをして百数えたら止まる』んやと。せやからしたったのに・・・・・・・案の条の反応、ありがとさん」

「し・・・・・信じらんね」

「止まったんやからええやろ! 過ぎた事いちいち気にすんな! 事故や事故!!帰ったら、うがいでもして、歯でも磨いとけ!」











 平次は早口で捲し立てると車を出した。

 だいたい、こんな事は仕掛けた本人が一番やるせない。



 男相手にキス。

 しかも友達、仲間にだ。

























 ・・・・その後の二人の間に、なんとなく会話はなかった。



























 別に、ケンカした訳でもない。

 気まずい訳でもない。



 ただ、なんとなく。

 ・・・・・なんとなく、お互い話し掛けられなかったのだ。











 やがて車は工藤家の前に着く。

 雨は、激しさを増していた。



















「服部」









 新一が、シートベルトを外しながら呟く。





「・・・何や」

「昨日、父さんが新しい小説送って来たんだけど、読むだろ」









 薄暗くてもハッキリと読みとれる表情。

 確かに、平次の様子を伺っている。











「そ・・・・そらもちろん」

「じゃ、寄ってけよ」









 ホッとしたように微笑う新一。

 平次も、何となく回復したこの空気に安心する。



 そうして車を車庫に移動すると、専用の通路で二人は家の中へと入って行った。





























ひとくぎり



















「なにニヤニヤしとんねん、気色悪る」

「『雨の渋谷』で思い出しちまった。ほら、『シャックリ』事件」

「・・・・・・んなもん、思い出すなやアホ」













 あれはもう半年も前のこと。

 忘れたくても忘れられない想い出。 















「まさか、今度はお前がシャックリ止まんなくなるとは思わなかったもんな」



















 そう。



 あの後新一の家に寄って、小説を貸してもらい、飲み物をもらった時。

 ふと、探ったポケットに入っていた『くるみゆべし』。



 それを今度は平次が食べたのだ。































ひとくぎり































「冗談だろ?」

「・・・・ひっく!」













 見つめ合う二人、言葉もなく。

 ただ、相変わらずの雨の音だけが響く。











 努力はした。

 思いっきり水を飲んだり、他のものを食べたりもした。



 だが、一向に止まる気配が無い。













「・・・・どうすんだよ」

「き、気にせんどいて・・・・・・っく。そのうち、止まるやろ」

「そ、そうだよな」











 まさか、二度もこんな事になろうとは。

 平次はソファの上で、仰向けになって繰り返しやってくるそれを必死に押さえている。













 ・・・・・・・苦しそうだった。





















 止める方法は、知っている。

 それはさっき教えてもらった事。











『シャックリは、誰かとキスをして百数えたら止まる』















 キス。



 それは唇を重ねる行為だ。

 それは普通、少なからず好意を持っている相手とする行為だ。















 ・・・・・でも。



 



















「しょーがねえな・・・・・・・コレで貸し借りなしだぜ」

「へ・・・・?」

「てめーが百、数えろ」













 言うなり新一は、ソファの横に膝を付いて身を屈めた。

 そして平次の顔をぐいとこっちに向かせると、ふわりとその唇を乗せる。



 もちろん、平次のそれに。



















「!」 













 今度は、平次の目が見開く。

















 長いまつげ。

 閉じられている、瞳。



 つき合ってきた女ならいざ知らず、友人とこんな至近距離に近づき、しかも接触した事などない。











 とはいえ・・・・

 ついさっき、実はしたばかりなのだが。























「・・・・は、苦し・・・」













 暫くして新一が唇を離す。

 大きく深呼吸をして、平次を見た。









「一方的にするのって・・・・・息継ぎが難しいもんだな」

「・・・も、もうええから」

「あと50・・・・・」









 再び迫ってくる新一の顔。

 たまらず、平次は両手を出して新一を押し止めた。









「もうええ、止まった、止まったから!」

「・・・・・そうか?」











 心臓に悪いことが起こって、シャックリなんてとっくに止まっていた。

 そして反対に、意味不明の動悸が沸き起こっている事に平次は驚きを隠せなかった。





















 嘘やろ?



 ・・・・・・・どないしたんや、俺。



















 そしてもう一度、確かめたいと思った。

 ただ合わせるだけのものが、こんなに気持ち良いのだ。















 きっと。

 ・・・・きっと『本当のキス』をしたら、もっと気持ち良いに違いない。





 平次は、新一の肩を掴んだままその身体を引き寄せた。





















「な、何」

「・・・・あと50あったな」

「お前、止まったって・・・・・・・・っん」













 実際に触ってみて解る、細い首筋。

 見たままの柔らかい髪。



 小さい頭は、自分の手のひらに簡単に収まる錯覚を沸き起こす。











 そして、その乾き気味の唇の感触。

 口紅の嫌な味がしないそれは、男だから当然なのだがある意味平次にとって驚きの感触だった。







 角度を変えて吸われ、単なる『接触』ではない事をいい加減、新一は察知する。

























 ・・・・・・服部・・・??















 変だとは思った。

 でも平次のキスは決して下手ではなく、むしろ気持ち良い。



 適度に変わる接触の角度は、新一に与える息継ぎだ。

 それが甘い吐息を生むことを、また平次は知っていた。



















 ・・・ち、ちくしょう・・・・



 何か、変な気分になってきちまった・・・・・・・





















 そして膝を付いていたままの身体が崩れそうになったその時、やっと平次はその唇を解放した。



 腰が抜けたように床に座り込む新一。

 平次は、ぺろりと唇を舐めると微笑った。



















「ほい。ひゃーく」

「・・・・・・ば、ばっかやろう! 何だよ今の!?」

「キスも知らんのか?」

「そーゆー意味じゃねえ!」 













 口を押さえて新一は叫ぶ。

 白い肌が、面白いまでに紅潮していた。





















「なあ、工藤」

「何だよ!」

「・・・・俺と付き合わんか?」













 満面の笑顔を浮かべた平次。

 膝に肘を付いて手のひらに顎を乗せ、まだ怒りに震える新一にそう囁く。 

























「どこにだ!?」

















 ・・・・返ってきた返事。

 それは、暫く二人の会話を止めた。



































ひとくぎり



































「全く・・・・・あん時は、どないしよかと思たわ」















 思い出し笑いを懸命に堪えて、窓に向かって平次は声に出さず呟く。







 真面目にああ答えていた新一。

 その後再び掠め盗った、新一の唇。





 そうしたら、やっと言葉の意味を理解したのだ。



















「解らんもんやなあ・・・・・・人の気持ちて」





















 打ち付ける、雨。

 グラスの氷が、音を立てて割れた。





































ひとくぎり



































「今日は嵐かいな・・・」

「すげー」















 一向に止む気配のない雨。

 道行く人々も、足早に通り過ぎて行く。























「結構歩くんやけどなぁ・・・・・・走るか」

「別に帰るだけだし。濡れたって構わないだろ」

「ええんか?」



















 いつもなら濡れることを嫌うのに。

 平次は、隣で傘を広げる新一を不思議そうに見た。





















「なんかなー・・・・・・そんな気分なんだよ」

「もうちょい、どっかで雨宿りしてってもええで?」

「じゃ、ロフト付き合え」

















 瞬間、新一の表情がぱっと和らいだ。

 不覚にも平次はそれに戸惑う。



 フード付きの上着を襟元まで閉め、さっさと先に歩き出す。

 一瞬遅れて傘を広げた平次もそれに続いた。





























 ────────・・・・・・このまま、帰りたくなかった。































 後味の悪い事件の後ほど、誰かと一緒に居たかった。

 特に雨の日は余計に。



























「・・・って、工藤、信号赤やぞ!」

「え・・・」















 腕を掴まれ、我に返る。



 渋谷の駅前のスクランブル。

 決して人波が途切れることのない交差点で、新一が赤で渡ろうとしていた所を平次が慌てて止めた。



















「何ボーっとしとんねん」

「悪い」





































『あれ、服部』

『工藤?』




































 新一は、見上げた平次とこの交差点に、あの時の風景を思い出した。





















 付き合っていた女と、別れたばかりだったあの日。









 一緒にいても疲れるだけ。

 ときめきや安らぎも、感じたことなど無く。



















 ・・・・・・それで結局、別れた雨の日。





































「青なったで」





















 人波が動き出す。

 新一は、自分に話し掛ける存在の口元を見上げる。





 ・・・・そう言えば。

 『キス』があんなに感じるものだと知ったのは、あの時だった。





























 押される様にして歩き出す。

 傘から落ちる雫が、首筋にかかり身を竦ませた。





 そんな新一に平次はつい微笑う。

























 鮮明に蘇る記憶。







 何もかも同じ、雨の日曜の渋谷。





















 あの時と変わらない平次の横顔。



 ・・・・胸を掻きむしられる、心地よい声。





































 通り過ぎる風景。





































 そして・・・・消えゆく雑踏のざわめき。









































「服部・・・」

「ん?」

「───────・・・・しろ」

「へ?」







































 聞こえないから、耳を近づける。



 そして時は止まった。











































「・・・・・・・キスしろ」



















































 スクランブル交差点の真ん中。

 あの時、二人が偶然、視線を交わした場所。





























 新一は、微笑いもせず。



 ただ無表情に。





























 ・・・・・・・・・ただ、じっと平次を視線で捕らえてそう言った。













































「い・・・今、何て・・・」



















 平次から自然に笑みが消える。





 自然に歩みも止まり。

 すれ違う人の群が、二人を避けて行った。


























 ・・・・・・・新一は口元を少し上げ微笑う。































「なんてな。冗談」

「く・・・・工藤?」

「赤になっちまう。急ごうぜ」



























 ・・・・・そしてそう言うと、ふわりと前髪を揺らし走り出した。































「工藤・・・・・」




















 少し伏せた瞳。

 震えていた声。





 翳りの見えた、表情。 





























 ・・・・・・・冗談とは、どうしても思えない。



































 点滅する信号に慌てて走り出す。

 平次は、渡りきって更にどんどん先に歩き出していた新一の腕を捕まえた。



 ぐいと引っ張り、こっちに向かせる。





























「何だよ」

「・・・・・どーゆーつもりや」

「だから冗談だって言ったろ」

















 いつものポーカーフェイス。

 いつもの鋭い瞳で、新一は平次に向かってそう言う。

























「ほー・・・・・」















 再び信号が青に変わる。

 勢いの止まらない雨の中を、相変わらずの人が行き交う交差点。 



 平次は、掴んだままの手をそのままに来た道を戻った。























「お、おい何処(どこ)行くんだよ?」













 平次は答えない。

 バランスを崩しながら新一は引っ張られていたが、途中で腕が自由になった。





















 そこは─────────・・・・・・











































「服部・・・・・・?」





















 大きな黒い傘が近づく。

 勢いの強い雨は、人々の視線を足下に集中させる。













 すれ違う他人の事など誰も気にもしない。













































 ・・・・・・・・・・・・・・そうして二つの傘は、交差点の真ん中で重なり合った。











































 それは一瞬の触れ合い。

























 一秒にも満たない時間の後。

 平次は呆然とした新一の腕を掴み、一目散に交差点を駆け抜けた。







































 とにかく走って建物の間の狭い路地裏に潜り込む。

 雨の当たらないその一角に腰を下ろすと、傘を放り投げ、深く深呼吸をして平次はその場に座り込んだ。

















 ・・・・・そして、手を解放された新一も大きく息を付く。





































「し・・・・・信じらんねえ」













 呼吸が荒い。

 さっきの事が、頭をぐるぐる廻っている。





 雨のせいで肌寒いはずなのに、顔だけ異常なまでに熱い。



















 ・・・・・まともに平次の顔が、新一は見れらない。





























「信じられんのは俺や! あんなトコであんな事言う奴がおるか!?」

「だったらすんなよ!」

「知らんわ! 気ぃ付いたらやっとったんじゃボケ!!」

















 平次も頬を押さえて、必死に気を落ち着かせようとしている。





























 ・・・・・自分で考えても信じられない行動だ。





 しかし・・・・・・・

































「人試すのもええ加減にしてくれや・・・・・・・終いには怒るで」

「た、試した訳じゃ」

「ちゃうんか」

「違う」
























 あの日まで、雨はただ嫌いだった。

 女と会っている時も、雨の日は調子が悪いことが多かった。



 嫌な想い出しかなかった、雨のあの日。

 服部────────・・・・・・お前と視線が合ったんだ。



















 それまでキスもそんなに好きじゃ無かった。 

 口紅の味が不味くて、極力長引かせることはしなかった。







 そんな冷静な俺についてこれないと、何度振られた事か。





























 でも・・・・

 キスが実は、とても気持ちいいものだと教えてくれた。









 それがお前なんだ、服部。

































 あの日から。



 ・・・・雨の日もキスも、俺はとても好きになったんだ。

































「試しても、からかってもいない。ただ」

「ただ?」





















 顔を覆う指の間から、新一は平次を覗く。















 息苦しい呼吸。

 頭痛にも似た、目眩。 









 そして・・・・・































「俺はただ・・・・お前とキスが、したかっただけなんだ」

























 人前だとか往来だとか・・・

 そんなことは全然、考えてなかった。



 すべてが始まったあの交差点で、お前の唇を見たら。

 なんだか無性に、そう思っただけなんだ───────────・・・・・























 やがて新一は顔を上げた。

 すると平次が、口を押さえて壁に突っ伏していた。























「服部?」

「お・・・・・お前・・・・今の、むっちゃ殺し文句やで」

「え」











 ぼそりと言った自分の言葉。

 改めてそう言われて、新一は今更ながら体温が上がった。











 平次は、ふわりと目の前の身体を抱きしめる。











 雨の滴の匂いのする柔らかい髪。

 すこし冷えた身体とは反対に、熱い頬。











 新一の肩に頭を乗せて、平次は暫く目を閉じた。





















「・・・ホンマほっそいな。ちゃんとメシ食っとるん?」

「うるさい」













 雨の音に掻き消されるくらい小さい声。

 新一は服の裾を引っ張り、肩に掛かる気持ちのいい重みを起こさせた。























「何や」

「・・・・・・・ここなら誰も見てねえんだけど」

















 耳元に届く、声にならない声。

 前髪の間から覗く琥珀の光。



 至近距離の新一の上目遣いは、何度体験しても慣れるものではない。























『・・・・俺と付き合わんか?』













 最初は軽い気持ちだった。



 ・・・・その後幾度となく接触を重ねて。

 その表情の多さと新鮮さに、あっという間に惹かれていった自分。















 今も、あの時と同じ動悸が止まらない。

































「見てても、もう構へん」









 そうして閉じられた瞳に誘われるように、平次は唇を重ねる。





 二人はじゃれ合う猫のように。

 角度を変え、場所を変え―――――――――・・・・・・その感触を、暫く楽しんだ。




























ひとくぎり




















 あの事件が無ければ、今の俺達はなかった。

 ごく普通に今でも、女と適当に付き合っていただろう。





 ・・・・・・そして俺は、もしかしたらまだ、 キスの本当の気持ち良さを知らずに居たのかもしれない。

















「あ。目暮警部が今日の書類作りたいから、明日来てくれって言ってたぜ」

「面倒やな~・・・・工藤、お前に任すわ」

「そう? 何か美味しいモン食べに連れてってくれるって言ってたのに・・・・・・残念だな」

「ホンマか!? それを早よ言え!」







































 ・・・・・雨は、まだ止まない。















 事件に関わらず、物事には存在する原因と結果。

 俺と服部がこうなったのが結果なら、原因はきっとあの出来事。









 心揺らされ、惑わされ。

 そうして辿り着く先に、何があるのか解らないけど・・・・・・・































 晴れない雨はない。

 明けない夜も、ない。























 ・・・・・・・きっと、これもひとつの真実なんだろう。












































Fin