「・・・・38度5分か」

















 うららかな土曜の午後。

 今、目が覚めた新一。



 ・・・・脇に挟んでおいた体温計の目盛りを見て、驚く。













 昨日は父親が送ってきたワインを飲みながら、久々に書庫で新しい小説を読んでいた。

 気が付くと明け方近くで、いい加減に眠くなってきたから怠い身体を起こして2階に上がり・・・そのままベッドに倒れ込んだ記憶はある。



 そして、さっき気が付いたら響く頭痛・・・・

 枕元に常備している体温計で、一応計ってみたら―――――・・・・この結果だ。























「・・・まあ、行けないことはねーよな」













 今日は、久々に平次と映画を観る約束をしていたのだ。

 時間は3時に渋谷。





 あと1時間。

 ハッキリ言って、急がないと間に合わない。





 新一は軽く食事を済ませると、薬を飲んで着替え、とにかく目的地へと向かうべく家を出た。








今は、このままで





「・・・・・・ホンマぎょーさん人間がおる所やな」













 深々と帽子を被りサングラスで目を隠す。

 11月も終わりだと言うのに、日中はまだ比較的暖かい。



 同じく待ち合わせをしている人々を眺めながら、平次は何本目かのタバコに火を付けた。











 ここはハチ公前。

 あまりにも有名すぎる、待ち合わせ場所。



 平次も新一も渋谷は詳しくないから、どうしても知ってる場所となるとここくらいになってしまうのだ。





















 ――――――・・・はー・・・・・しっかし。

























 同じような、顔。

 同じような服装。





 なんで、ここまで似たり寄ったりが揃って歩いているのだろうか?



















 素顔の方がよっぽど可愛いやろになあ・・・・・











 サングラスで目線が見えないのを良いことに、じろじろ品定めをする。

 けれども日頃から目が肥えてる平次には『作った外見』は初めっから論外だ。



 ・・・・・何故なら。





















「おっそいなー・・・工藤」



















 そう工藤新一。

 いま平次が待っている目的の人物を、見慣れているからなのだ。













 元女優の母親から受け継ぐ、整った顔立ち。

 世界的推理小説家の父親から譲り受けた、天性の頭脳。



 出逢った高校生の頃から既に、その眼光は鋭く。









 ・・・・・・年を重ねるごとに増す妙な色香。















 そしてまずい事に。

 平次は最近の新一に、ちょっと戸惑いを感じていた。































「遅い。遅すぎや・・・」









 ポケットの携帯電話。

 その時間表示を眺め、平次は我慢できず短縮を押した。





 時間は3時半。

 連絡もなしに、ここまで遅れる新一ではない。



 何か事故にでも遭ったのだろうかと思い始めた時、暗い声の応答があった。













『服部・・・?』

「どないしてん、電車でも止まったか?」

『・・・わりー・・・・・今日、パス』

「はあ?」













 開口一番にそう言われ素っ頓狂な声を平次は出す。

 だが、電話の向こうの新一の様子がおかしいことに気付いた。

 





 声が掠れている・・・・・・?





















「――――・・・・風邪引いたんか?」

『そうらしい。行こうと思って家出たんだけど、頭痛が酷くて・・・・・・』













 咳き込むのが聞こえる。

 平次は、大きく息を付いた。













「アホ。そんなら早よ連絡せい」

『ほんと悪い・・・』

「暖かくして寝とれよ。薬は飲んだんやろ? 食いたいもん、あるか?」

『え?』















 一瞬の沈黙。

 その意味が分からず、平次は言葉を続けた。













「せやから、何なら食えそうか聞いとんのやけど」

『来るのか?』

「行くがな。それとも何や・・・・・・オンナでも看病に来てもろてんのか? なら遠慮するし」

『いねえよ・・・・・・じゃ、もも。』

「おっけ」

















 タバコを消し、人混みを掻き分け慣れた足取りで駅に入り切符を買った。



 まだまだ暖かい日差しが、ホームに降り注ぐ。

 丁度入ってきた電車に乗り込むと、その眩しさに少し目を閉じた。



























ひとくぎり





























 家を出たことは、出た。

 でも、玄関を出て石段を下りようとした所で―――――・・・・・急激な頭痛が襲った。

























「・・・いっつー・・・・やべえな・・・ワイン飲み過ぎと、風邪のダブルかよ」

















 一人暮らしを始めて何年にもなるが、小さい頃から身体は鍛えてたし部活もやっていたから、滅多に風邪なんて引かないでいた。



 でも今年の異常気象のお陰で、なんとなく夏辺りから体調が悪い。

 昨日の夜は結構暖かかったのに明け方冷え込んだのも原因の一部だろう。





 遅くまで飲みまくり、ちゃんと寝なかったのが災いしたようだった。























 ――――――・・・・・服部が来るのは半過ぎかなぁ。















 ぼんやりそう考えてると、ふっと意識が飛びそうになった。

 額のあたりが熱くなっているのが解る。



 食べ終わると薬を流し込み、とにかく着込もうと2階に上がる。

 頭が痛いから横になって待つことにした。

































ひとくぎり



































「可愛ええ顔して寝とるなあ・・・・」













 平次がベッドで眠っている新一を見つける。



 玄関の鍵も開けっぱなし。叫べど誰も出てこない。

 不用心すぎやなぁと思いながら、勝手知ったる何とやらで上がり込んで部屋に来た。





 そして、案の定な状況。























「薬が効いてきて頭痛がとれた。せやから本でも読んで待っとったけど、結局眠くなったって所やな・・・・」















 もう暗くなった部屋の中、左手をベッド脇に落として枕に頬を付けて吐息を立てている。

 すぐ下に小説が落ちていた。



 平次はその手を掛け布団の中にしまい込み、小説を拾う。











 ・・・・英語のタイトル。

 しかも中身も、全部英語。















「か~ 嫌味なやっちゃ」













 英語の物語は、そう言えば新一は殆ど原書のまま読む。

 今更ながらそれを思いだし、「けっ。」という顔をしてそれを机の上に置いた。



 そうしてまた新一に振り向く。























 ――――――・・・ホーンマ・・・・綺麗な顔しとるな。





















 化粧せずとも、鑑賞に堪えうる造形。



 数年前に新聞記事で『工藤新一』を見て、実際逢って確かめて。

 実物は想像以上で、暫く見とれた程。







 けれど最初はもちろん妙な感情はなかった。







 その人物の中身も知らずに、好きになる自分ではなかったし。

 何より―――――・・・彼は男だったのだから。



















 けれども。



 男同士だから、出逢えたことでもあった。

 探偵として東西で名を馳せていたから、お互いを知り合える事が出来た。























 ・・・・・・・誰よりも、解り合える間柄になれたのだ。































「それがなあ・・・・」











 ベット脇に戻り、その寝顔を眺める。

 前髪が額を程良く隠し、覗く閉じた瞼から、長い睫が影を落としていた。



 日の陰ってきた部屋に酷く似合うシーン。

 そう、平次は思った。















 そして・・・それに触れたいと思った。























 新一がその時、寝返りをうつ。

 目をこすりながら顔を上に向けると、薄く開く口唇が平次の視界に入った。











 誘われるように。



 ・・・その引力に惹かれていく。























「目え覚まさんといてな・・・・」 























 声に出さず呟く吐息。

 自分の息を止め、そして・・・・





















 ――――――――――――・・・・平次は新一に接触を試みた。



































 すぐ離れた。



 何故か、驚くほど気持ちが落ち着いていた。















 いつか自分がこういう事をしでかすと思っていたのかもしれない。



 後悔はしていない。

 今新一が瞳を覚ましても・・・・・言い訳はしないだろう。





























 この気持ちが何なのか。

 あの戸惑いが、何だったのか。

















 ・・・・・・平次には、もう解ってしまったのだから。





























 そして平次は持ってきた桃をしまうべく、下のキッチンへ行こうと向きを変える。

 新一の起きる気配はなかった。

























ひとくぎり

























「・・・・ん?」











 部屋の扉が閉まる音に、新一の意識が夢から現実に移行する。







 階段を下りていく足音。

 それで、平次が来たのだと悟る。







 ・・・・・部屋を照らす蛍光灯の明かりが、頭に響いた。























 ――――――・・・うー・・・・やっぱ・・・・あったま・・・いてー・・・・























 目頭がぼーっとする。

 喉と口唇が渇き、水分が欲しい。





 ・・・・昨日から口内炎も出だしたから舌が酷く痛かった。























「もー・・・最低だ」











 咳き込むと、ますます額に熱を感じる。

 深く溜息を付くと、新一は身体を起こし、下に行って水を飲もうとベットを降りた。



 その時。

 盆を持った平次が、扉を開けて現れた。





















「お。起きたんか」

「―――・・・服部」

「何やねん呆けた顔して。グッドタイミングや、食うやろ? 桃」











 その盆には切った桃と水の入ったグラスが乗せてある。

 それを新一の元に持ってくると、平次はベッドの上に置いた。











「具合どーなん?」

「・・・一晩寝れば多分、大丈夫」

「寝るんならちゃんと寝なアカンやろ。手え出しとったら意味ないで?」

「そっか・・・・俺、本読んだまま寝ちまったんだ」

「そーや。ほれ食え、ご希望のブツや」













 新一は差し出された桃をフォークで口に運ぶ。

 時折果実の雫が指に滴り、それをぺろりと舐めた。



 その姿に、平次は瞬間止まってしまう。















「お前も食えよ」

「・・・お、俺は別にええって」

「ほらよ」















 新一が、フォークに差した桃を口元に持ってくる。

 何故か戸惑っている平次に、少し首を傾げた。

















「・・・・ええっちゅーとるやろっ! 気色悪い事すんなや!」

「気色悪い? 旨いぜこの桃・・・・・」

「そーゆうんやなくてやな!!」

「わっかんねーなあ・・・・・・・怒る事かよ。いいよもう」













 ムッとした顔をして、新一は出したフォークを戻し自分の口に入れる。

 そして全部食べ終わると、平次を見て『ごちそうさま』と盆を出した。



 水を一気飲みすると、それも盆の上に置く。















 さっきから何だかおかしい平次。

 それが気に入らなかったのか、新一は目の前の男を睨んで言葉を出した。

























「・・・・・あのよー・・・何なワケ? 言いたい事あんならハッキリ言ってくんねーかな」





























 ―――――・・・やばい、と思った。



















 睨まれているのに、とてつもなく心臓が波打つ。









 その視線の角度。

 熱のせいか、熱く漏れる息。



 鮮やかな緋色の寝間着はシルクだろうか。

 光沢が綺麗で、余計にその肌を照らす。









 睨んでいるのだろうが・・・・・少し首を傾げたその姿は、完璧な誘いの空気を平次に向け放っていた。

























「おい聞いてんのかよ!?」

「―――――・・・べーつに・・・・・俺んこと待たせた埋め合わせ、どないしてくれんのやろと思うてな」

「解ったよ・・・・・・・映画とメシ代、俺が出す」

「ほんならさっさと寝て治して、明日行くで」

「は? 無茶言うな!」

「うっさいわ。あの映画は明日までなんや。とっとと布団に入らんかい!」

















 喚く新一を無理矢理ベッドに押し込める。

 拗ねるような表情が平次の脳裏に焼き付き、また胸が騒いだ。











 ・・・ハッキリ言って心臓に悪い。























 枕元の目覚まし時計を見る。

 5時過ぎ。



 雨が降ってきたらしく、窓に雫の音がした。



















「服部。俺しゃぶしゃぶ食べたい・・・・・」

「はい?」

「買ってきて。俺、今日は豚しゃぶ食いたい気分」



















 平次の視線が窓に向いた途端、新一が呟く。

 その言葉は、小さいながらも命令口調だ。

















「・・・・お前口内炎やろ。んなもん食うと染みるで」

「!」

「ま、ええか。後で文句言ったらしばくぞ」

「何で・・・・・解った?」















 新一が、驚いた顔をして平次を見た。















「何がや」

「だから、俺が口内炎って」

「せやかて喋り方おかしいやんか。それより他に欲しいモンあるか? 何なら一緒に買うてくるし」





















当然やろ。



・・・そんな言葉が、新一の脳に聴こえた。























「工藤?」





















 わずかに。



 ・・・新一の胸に、想いが生まれる。



























「おえ、どないした」

「あ・・ああ、悪い・・・・じゃあ」





















 ふっと我に返った新一。

 今日発売の雑誌やら冬季限定チョコやらを頼むと、平次を見送る。











 ・・・・・熱が、顔中に昇ってきた。





























 ――――――――・・・やっべー・・・・・ちょ、ちょっと待てよ・・・・・ええ??































 寝返りをうち窓側に身体を向ける。

 肩口の羽根布団をひっぱり、顔をそこに埋めた。













 そして、考える。

 考えるのだが・・・・・











 この、自分の中に生まれた『何か』が理解、出来ない。



























 顔が熱いのは、風邪のせいだ。

 顔が火照るのは熱のせいだ。



 でも・・・・





















 考えれば考えるだけ・・・・考える程・・・

 制御できない『何か』が―――――・・・・身体の中心から沸き起こっている。

































「・・・まさか俺」



















 この想いには、覚えがあった。

 『納得』は出来ても・・・・・・『理解』が出来ない想い。













 それは『恋愛感情』と名乗っていたはず―――――――――――――――・・・・・

































「どーすっかなあ・・・・・・」



















 まったく。

 人の心ってのは、不思議なもんだぜ。





















 ひんやりとした空気が、一瞬顔を通り過ぎる。

 更に深く潜り込み、暖かい空気を身体に纏った。



 新一は何故か冷静にその気持ちを受け止めていた。

























ひとくぎり























「帰ったで・・・・」











 工藤邸の扉をそっと開け静かに閉める。

 ゆっくり中に入っていくと、平次は冷蔵庫に買い込んだ食料をしまいこんだ。



 そして一息つき買ってきた缶珈琲を一気に飲む。

 次に新一に頼まれていたものを抱え、足音を立てずに階段を昇っていった。









 新一の部屋の扉。

 そっとノブを、廻す。





















「・・・・・起きとるか?」

「服部か・・・・・・おかえり」



















 掠れた声。

 暗闇の中で、影が動く。



















「―――――・・・あ、電気・・・そこ、スイッチ・・・」

「常夜灯にしとこか。頭に響くんやろ」

「・・・・ん」















 新一が、上体を起こす。

 枕元の時計を確かめると、8時だった。

















「具合、どや」

「平気だ・・・・ちょっと寝たから、だいぶ楽・・・・腹、へった・・・」

「キャベツ切ればええだけやから、食えるで」

「・・・・あのよ服部」

「ん?」



















 新一は、そっと携帯電話を出す。

 それは平次のものだった。



























「・・・・わり。さっき掛かってきて、俺のと勘違いして出ちまった」



















 寝ていた時に床のあたりで電話が振動した。

 新一は手探りでそれを探し当てると出たのである。







 ・・・・・・しかし、次に聞こえてきたのは見知らぬ女の声だった。



















『・・・え、平次じゃないの?』

『平次? ・・・俺は工藤だけど』

『あ、ヤダ、ごめんなさい間違えちゃった? ・・・・・・あれぇ・・・おっかしいなぁ・・・』

















 そうして電話は切れた。



 なんだこの女・・・・? 何で知らねー女が、俺の番号知ってんだよ・・・とムッときて電話をよくよく見たとき、それが自分のものではない事に気が付いたのだ。



















「!?」





















 嘘!? や、やっべー・・・・





















 時、既に遅し。





 自分の携帯は、きちんと枕元に佇んでいた―――――――・・・・





























「ああ、ええけど別に。誰やった?」

「・・・さあ、名前言わなかったから・・・・・・女だったけど」

「オンナ?」















 受け取った平次が着信履歴を調べる。

 そして『ああ』と声を出した。











「平気や、こいつは放っておいても」

「いいのか?」

「来週泊まる予定のことやろ。急ぐ必要あらへんし・・・・それより、メシ食お」

「――――――・・・・え」























 来週泊まる予定・・・・?

























 新一の心が、騒いだ。



















 ―――――・・・・何だこれ・・・























「寒いんやから、ちゃんと上、着てこいや」

「・・・ああ」





















 平次は足早に去っていく。

 新一は自分の身体に感じた異変が、未だ信じられなかった。







 ・・・・・・胸を押さえる。

























 実は新一は着信履歴を見ていたのだ。

 さっき平次の携帯に掛かってきた、相手の。



 ・・・・この携帯に登録されているのなら、きちんと名前が出るはず。

 そして、それは出たのだ。『中務梨花』と。



























「そーいや・・・あいつ今、彼女はいないって言ってたけど・・・・」





























 ―――――・・・好きなやつは、いるんだろうか?





















 服部だって、普通の健康な成年男子だ。

 付き合ってきた女のひとりやふたり、いただろうし・・・・・それなりに経験もしてきてるだろう。























「・・・・・・聞きゃいーんじゃん」













 そうだ。

 解らないことは、聞けばいい。





 新一は、寝間着の上からジャージを羽織る。

 専用のスリッパを履くと欠伸をしながら下へと降りていった。

























ひとくぎり

























「・・・・っっちー・・・」

「せやから言うたやろが。我慢して食え」

「解ってるよ・・・」













 やっぱり、口内炎にタレが染みる。

 今が一番辛いときかもしれない・・・そう新一は思った。











「服部」

「んー?」











 箸を止める。

 ぐつぐつと、鍋が煮立つ音がする。









 ・・・・側のテレビからは、バラエティー番組の笑い声が聞こえていた。























「お前・・・・好きな奴、いんの?」

「へ?」

























 平次が、驚いた顔をして新一を見た。

 箸から肉がぼとりと落ちる。



 慌てて、それを拾った。



















「何や急に」

「別に・・・・聞いてるだけ」





















 じっと。

 新一は平次を観察している。











 ・・・・その慌てぶりは、どういう意味を持つのだろう?





















「唐突やなぁ・・・・いるで」

「ふーん」

「珍しいこと聞くやんか・・・・・さては、お前こそ誰か好きな奴おるとか?」

「・・・・まあ」

「ほー・・・・・」



















  止めていた箸を動かし始める新一。

  ぱくぱくと、口内炎が染みる筈なのに、次々と口に運ぶ。



  平次も視線をテレビに戻す。

























 ―――――――・・・・・・・その後、何となくお互い食べることに集中してしまった。

































「工藤、お前寝んで平気なん?」

「だーいじょうぶだって」

「・・・・ホンマかいな」













 どう見ても完全に大丈夫だとは思えない。

 平次は、あからさまに溜息を付く。



















「何だよ」

「別に俺ん事は気にせんでええで? 勝手にやって、勝手にここらで寝るし」

「――――・・・そんなんじゃねぇよ」



















 確かに大丈夫な体調ではないことぐらい自分が一番良く知っている。

 しかし平次がいる以上、勝手に自分だけ先に寝てしまうことは出来る筈もないのだ。



 そんな新一の心情が平次には良く解っていた。









 ・・・・それに、まだ気になる事があったから。

 目が冴えていて眠る所ではなかった。





















 ソファに座って丸くなっている新一。

 さっき入れたばかりの珈琲のカップを両手で包んでいるその姿に、平次は目眩がしそうになった。



























 アカン。



 工藤の動作ひとつひとつが、心臓に悪すぎや・・・・・































 さっきいきなり『好きな人がいるのか』と聞かれ、とんでもなく動揺した。

 その後、なんとか平静を取り戻して『お前はいるのか?』と聞き返す。









 ・・・・・帰ってきた答えは『イエス』。























 瞬間、頭が真っ白になってしまった――――――――――・・・・・・・・





































 誰? と聞けなかった自分。

 なんでだろう。



 聞けば、教えてくれたかも知れなかったのに。























 けれど―――――――――・・・何となく躊躇したら、聞けなかった。





























 新一もカップに口を付けながら考えていた。

 さっきの平次の返答が、思った以上に自分に衝撃を与えた事に驚いてしまったからだ。









 ・・・・湯気の向こうで平次がこっちを見ている。

























 いるのか・・・そうか・・・・・















 甘い珈琲が舌のその箇所に染みる。

 でも、今はそんな事はどうでも良かった。





















 ――――――――・・・誰なんだろう・・・・さっきの女か?

 それとも・・・・・全く別の、大学の奴か・・・・・・・









 ・・・・・・・あいつ面食いだから、いい女なんだろうな。





















 新一も一番肝心なことが聞けずにいた。

 いざとなると聞けない自分に、戸惑っていた。













 決して男が好きな訳ではない。

 お互い今まで一緒にて、相手がそんな趣味じゃない事は解ってる。



 だから相手がまさか『自分』がその対象になっているだなんて、思いもしていない。









 自分がこの目の前の存在に惚れてしまった事は、不思議だとは思ってはいない。

 だが、やっぱり世間一般常識で『男が男を好きになるものではない』と思っているから、その可能性を考えていないのだ。

























「工藤・・・」

「服部、あのさ」



























 同時に言葉を発し、お互いの視線が合った。

























「な、何や」

「そっちこそ何だよ」

























 再び訪れる静寂。

 むず痒い想いが、身体を支配し始めた――――――――・・・・その時。























「!?」

「・・・おわ、ビックリした!」

















 平次の方から、意味不明な振動音がした。

 さっき渡した携帯電話の着信らしい。



 ポケットに入れてあったものだ。

















「何や梨花かいな・・・・堪忍、ちょお待っとって」

















 液晶表示を見て平次は新一に目配せすると電話に出る。

 そしてそのまま、リビングを出ていってしまった。





































 梨花って、さっきの女か・・・・

















 別に電話くらい、ここで話してもいいだろうに。

 新一は何となく面白くない。



 単に平次としては、人の家で、しかも具合の悪いだろう新一の前で話すのも何だから、気を使っただけのことなのだが・・・・それがかえって新一の気に障った。





 冷め始めた珈琲を一気にあおり、むせる。

 咳き込んだお陰で瞳に涙が滲んできた。



 新しいのを飲もうと、ソファを立つ。





















 ・・・・・しっかし、よくよく考えて・・・・・・何で俺、あいつなんか好きになっちまったんだ?



























 そうなのだ。

 もともと、自分はちゃんと女の子が好きなのだ。





 幼なじみの毛利蘭という子がずっと好きで、でも想いはなかなか打ち明けられず。

 そうこうしている間に他の大学へ行ってしまった。



 大学生活も慣れるまでが結構大変で。

 新しい仲間との生活環境になってしまった今、何となく連絡も取らないままここまで来てしまったのだ。



















 好きなのには、変わりない。



 でも最近、もしかしたらこの気持ちは。

 いつも一緒に居たからこその、幼なじみ特有に対する単なる『情』だったのかも知れないと思い始めていた。





























 ――――――・・・好きって、何なんだろう。





























 新一は頭を悩ませる。

 蘭への『好き』と、平次へに対する『好き』は・・・・同じようで、やっぱり違うからだ。

























 蘭は、守りたい存在だ。

 いつも心配ばっかり掛けて、悲しそうな顔をさせて・・・・・・強そうに見えて涙もろい存在を、守りたいと思っていた。











 側にいてやりたい。

 そう、思っていた。



 ・・・・・でも服部は違う。













 あいつも俺も男。だから『守る』『守られる』なんて意識は持ってない。

 お互いがいい意味でのライバルだから、必要以上に頼ることはしない。



 そんなのは暗黙の了解だ。

 でも。



















 あいつの側の空気は凄く居心地が良い事に・・・・・・・・俺は気付いていた。































 俺にはないものを、あいつは持っている。

 同じ探偵としていくつも事件に関わってきて。



 その中でいつもお互いに良い刺激を与え合って。























 ―――――――――・・・そこに惹かれたかのもしれない。





































 俺は服部が好きだ。







 あいつに『好きな奴がいる』と言われて、確かに俺は動揺した。

 胸が、騒いだ。







 それは間違いなく――――――――――・・・・・

 俺があいつを、そういう意味で好きだと言う証拠なんだろうか?























 ・・・・・・・・『友情』と『恋愛感情』の境目は・・・・どこで見分ければいいんだろう。



































「くどー・・・・それ、どないするつもりやねん」

「え・・・わ!! あっち――――っっっ!」











 珈琲を入れるカップを暖める為に、お湯を注いでいたまま、新一はぼーっと考え込んでしまっていた。

 それはとっくに許容範囲を超え周りに溢れている。



 少しお湯を被ってしまって、急いで水で冷やした。

















「おかわりか? なら俺がやったる。お前は座っとれ」













 無理矢理その身体を押しやりソファに座らせるが・・・・・何だか新一の様子がおかしい。

 熱でも上がってきたのかと、つい平次はその額に手をあてた。







 少し身じろぎする新一。

 ・・・手のひらに、熱い感触が伝わる。















「お前の手、冷たくて気持ちいい・・・・」

「そー感じるんやったら、やっぱ寝たほうがええで」

「あのさ。お前の好きな女って・・・・・・今の電話の女?」

「は?」













 突然の問いかけ。

 平次は、手のひらの下から覗く鋭い視線を感じた。















「好きなオンナ? 梨花がか?」

「いるって言ってたから、そーかなーと思っただけだ・・・・・・・違うのか」

「ちゃうわ! アイツは単なるいとこや」

「・・・いとこ?」

















 大きく瞳を開いて新一は目の前の男を見る。

 その様を間近で見せつけられ、しかも熱っぽい顔をしているもんだから平次は平常心を保つのに精一杯になってしまった。



















「せや。来週、大会がアイツん家の近くであるから、オカンがどうせなら泊まってけって、そんで連絡入っとるだけや」















 聞くと、その娘は母親の姉の娘らしい。

 年は今年大学卒業をしたというから・・・・23くらいだろうか。





 新一は、心なしかホッとした。

 でも、好きな奴がいることには違いない。















「工藤・・・・そーいや、お前さっきから変やぞ? その惚れたとかっちゅーオンナに、他に好きな男でもいるんか?」

「・・・まあ」

「そーか・・・・そら辛いわな」



















 平次にもその気持ちはよく解る。

 今、まさにその状態だからだ。



























「誰なんだよ、そいつ」

「・・・・へ」

「お前の好きな奴って、誰?」























 抑揚のない声。

 視線だけじっと平次を見据え、新一は問う。















 ―――――・・・やっぱり遠山和葉か?

 お前はずっとただの幼なじみと言ってたけど、言葉ではいくらでも違うことを言える。









 ・・・・蘭とは違った可愛さをもつ、大阪の平次の幼なじみ。



















 それとも同じ大学の女だろうか。

 理想が高いと言っていたが、とうとう見つけたのだろうか?

















 別に、新一は嫉妬心から聞いているのではないと思っていた。

 単にこれは性分。









 ・・・・・・解らないことを解らないでいることが、とてつもなく気持ち悪いから。





























 平次が誰かを好きだと知った。

 それが誰なのか、知りたいと思った。







 だから、聞いている。



























 ―――――・・・その時点で既に『嫉妬』だと言うことに、まだ新一は気付いていなかった。































「・・・それは内緒や」

「何で?」

「それも、内緒」





















 平次が辛そうに微笑う。

 新一の横に腰を下ろし、軽く息をついた。



















「なら、お前は? お前の好きな奴って、誰やねん」

「俺は・・・・・」



















 間近で問われ、新一は瞬間息が止まる。

 何故か、平次の声が身体を駆けめぐってしまう。



























 言えない。

 言えるわけが、ない。





 言ってしまえば楽にはなれるだろう。











 だが――――――・・・・・・

 この築き上げてきた関係が、足下から崩れるのは必至だった。





































 言った瞬間から友達には戻れない。

 何も無かったように、話すことなんか出来はしない。











 友人、友達、仲間。



 そう思っていた奴から、突然告白されたら誰だって戸惑うだろう。

 そして、もうその瞬間から・・・・自分を見る目が違ってくるのだ。























 ――――――――――――・・・・・・その目に、俺は耐えられるのか?

































「確かに惚れた奴はおる。けど・・・・・まだまだ、こうしてお前とかと一緒にいる方が楽しいねん。男友達と遊んどったりする方が、気が楽や」

「え・・・?」





















 平次は、ひとつひとつ言葉を確かめる様に新一に語りかけた。

 それはまるで、自分に言い聞かせるように。























 新一の、雰囲気。

 その何もかも。











 ・・・・自分の気持ちに気付いてから、その存在全てに触れたくてたまらない。



























 成り行きで接触を図ったのは、ほんの数時間前。

 あれから、想いは止まることなく・・・・









 自分の気持ちを隠すのに、精一杯で―――――――――・・・・

























 想いを告げようと、思っていた。

 けれど思い直した。

















 ・・・・こんな気持ちをぶつけた所で、新一を惑わすだけだ。



 友達だと思っていた相手から、そんな事言われれば・・・・今までの関係も全て白紙に戻ってしまう。



































 だから。



 平次はこのまま、新一の側にいられるだけで良いと思った。



















 決して重なりあう事は無くても――――・・・・・・こんな風に、側にいられる距離で良いと。



































「・・・・俺もだ」

「そうか?」

「ああ、確かに――――――――・・・お前といる方が、楽しい」































 それは、お互い本心。

 差し障りのない答えだけれど・・・・・本当の気持ち。































 別に、好きになって欲しいから好きになる訳じゃない。


 見返りが欲しくて、好きになる訳じゃない。





 この気持ちが『恋愛感情』か『友情』かだなんて、そんな事もどうでもいい。





























 ・・・・大事なのは、今のこの刻。

































 そして、そいつは今、側にいる。

























 ――――――・・・それって、すっごく幸せなことだよな?



































「ええかげん寝えや。明日、マジで出かけるで」

「解った解った・・・・薬飲んで、大人しく寝るって」

「どーも信じられへん。よっしゃ、お前ん部屋に布団運んで、俺もそこで寝よ」

「何言ってんだ? 客室あんだからそこで寝やがれ!」





















 いつも通りのじゃれ合い。

 まだ完全に体調が治っていないが、口調はいつもの工藤新一。







 ・・・・・・2人とも、吹っ切ったように表情は明るい。

































 刻は夜の11
時。

 窓から月の光が、覗く。













 ・・・・・雨は、すっかり上がったようだった。

































ひとくぎり































 想いは告げれば届く。





 でも人の心は、完全には読めない。



























 人間関係は、ほんの一言で全てが終わることがある。

 そうなってしっまったらと考えると・・・・慎重に成らざるを得ない。





 それだけ、2人の絆は深く壊したくないものだからだ。



































 だから、今はこれでいい。















 ・・・・・・・今のままでも一緒にいられるのだから、これで良い。











































 今は、このままで―――――――・・・・・






























Fin