神聖なる場所





「くど~・・・・どっから手え付けたらええんや?」

「まず上からハタキ。その次に雑巾で、棚拭いてくれ」















 6月某日。



 梅雨入りした東京で、運良く晴れた日の午後。

 公私共に忙しかった探偵達の、久々の休日。





 工藤新一。服部平次。















 ・・・2人は今、工藤邸の書斎に居た。





















「ホコリなんてもんやないで・・・・ちょお、マスクくれマスク!!」

「うっさいなー、ホラ。アタマも汚れっから、帽子忘れんなよ」















 とっくに用意してあった物を渡し、新一はドア近くのバケツを持つ。

 雑巾を硬く絞り、平次に放り投げた。















「・・・・俺に全部やらせるんかい」

「だって、梯子それしかねーんだもん」

「って、何自分だけくつろいどんねん!!?」















 下の方で梯子を片手で押さえつつ。

 なんと新一は優雅に珈琲を飲んでいる。



 ・・・まったく悪びれずニッコリ微笑まれ、怒る気力も沸いてこない。















「解ってるって。棚ひとつ終わったら、交代すっから」

「当たり前や。誰の家や思とんねん」

「・・・・そーだよなぁ・・・ここ、俺んちなんだよなあ」

「は?」

















 ふと見た新一の視線が、大きい唯一つの机に向いている。













 それは、懐かしむような。

 ・・・でも淋しそうな。













 平次はだから聞いた。





















「・・・親父さんの部屋やったっけ、ここ」

「ん? ・・・ああ」

「そーか。ほんなら、そん机で小説、書いとったんや」

「・・・・そう・・・ここに、ワープロ置いててさ」

















 珈琲を机に置き椅子に座る。

 昔から変わらない、とても座り心地の良いこの椅子。

















 父さんが居ないとき、よくここで眠っちまってたっけ・・・・・・


 新一はそう思い出しながら少し目を閉じた。





























ひとくぎり























 いつも忙しそうに机に向かっていた父親。

 遊んで欲しくても、ろくに遊んでもらえなかったあの頃。





 扉の隙間から、難しそうな父親の表情がいつも見えた・・・・・・・

















 母さんはいたけど。



 やっぱり、一緒にいて欲しかったのは父親。























 ・・・サッカーも。

 俺は独りで、よく河原でボール蹴ってたっけなぁ・・・・・





















 でも寂しくはなかった。



 それは、外で仕事をしてる訳じゃなかったから。























『何だ新一? 悪いけど父さん、いま忙しいんだ』

『え、ううんべつに・・・』

『ほら、新ちゃん。邪魔しちゃダメよ』





















 いくつもの締め切りを抱えていた父親。

 学校から帰ってきても、いつも忙しそうだった父親。



 そっと覗いた書斎。

















 ・・・無性に、何故かその時は構って欲しかったのを覚えている。































 サッカーボールを抱えたまま、ドアの前で座り込んだ俺。

 溜息を付いて、父さんがやってきて・・・



 ひょいと抱え上げられ書斎の中に入れてもらえた。











 この頃の俺は、『コナン』と同じくらいだったかなぁ・・・・・・























『しょーがないな。大人しくしてるんだぞ?』

『うん!』

『あなた、いいの?』

『・・・まあ俺もこいつと遊べないのは寂しいしな』

















 父さんは、それからも俺をそばに置いてくれた。







 例え一緒に遊んでくれなくても。

 置いてある本を読みながら、そこで過ごせることが嬉しかった。



 そして、たまに母さんも混じって。

 母さんの膝の上で眠っちゃうことも多くなって・・・・・































「おえ工藤! 危ない言うとるやろが!」

「・・・・え、うわ!」













 ぼーっとしていて反応が遅れてしまった新一。

 棚の本が、ちょっとずらした時に1冊こぼれた。



 平次がその前から注意していたのに、耳に入っていなかったようだ。











 ・・・あわや、頭上落下であった。

















「おまっ・・・・あぶねーなあ!」

「せやから大声出しとったやろ!? 何ボーっとしとんねん!」















 慌てて梯子を降りてきた平次。

 新一を、覗き込む。

















「平気か? どっか、切れたりしてへんか?」

「ああ、無事だ」

「は――――・・・寿命縮んだわ」















 蔵書とも言えるぐらい厚い上製本。

 これが直に当たっていたらと思うと、震えが止まらない。







 ・・・・そっと、平次は新一を抱きしめた。



































 言えない。







 机に肘をついて何かを思い出している新一。

 その姿につい見とれていて、手を滑らしたなんて、言えない。

















 見たことのない、表情。

 遠くを見つめる視線。





















 ・・・・・工藤にとって、思い出あり過ぎなんやなあ・・・・ここは。





























 だから、あまり立ち入らないのだろう。





 自分の家だけど、だからこそ。

































 ここは、父親の『聖域』だから―――――――――・―・・・・





































 ・・・でも、だからこそホコリは溜まるもの。

























「オラ。さっさと終わらせねーと日が暮れちまうぞ」

「・・・せやな」

「って・・・・うわ、バッカてめー何・・・っ・・・・」













 平次の口唇が、瞼に頬に・・・そして声を塞ぐ。



 机の上に押し倒し、まさぐり始めた手。

 しかし新一はそれを頑なに拒んだ。















「・・・何や・・・・嫌か?」

「―――――・・・書斎(ここ)でだけは、絶対に嫌だ」

「・・・・・」

「ちょ、・・・・は、っとり・・・ぅ・・・こ、の・・・やめろっつってんだろうが!!」

「!」

















 黄金の右足が、平次の腹を直撃する。

 ・・・・さすがに蹲ったのを横目に、新一は乱れたシャツを直した。



 怒りと恥ずかしさを、同居させて。















「てめえ1人で全部片しとけ! いいな!!」

「・・・へいへい」



















 そうして大きな音を立て新一は出て行く。

 平次はやれやれと・・・腹をさすりながら溜息を付いた。




























ひとくぎり














 解っていた。



 多分、新一はこの部屋では誘いに乗らないと。















 父親の、書斎。

 想い出の有り過ぎる場所。

























 いつも仕事をしていた残像が浮かぶ、この机で。





 ・・・・コトに及ぼうだなんて、俺も意地が悪すぎる・・・・

























 ちょお、嫉妬してもうたわ・・・・堪忍な。





























 肉親には適わない部分も多いけど。

 俺を想ってくれている時も・・・あんな顔をしてくれているんだろうか?





















 聞けない、見えない部分。

 それはやっぱり多くて。





 だからこそ、体温の確かな温もりが欲しくなる。

























「・・・・俺もまだまだやな」















 気を取り直し梯子に登った平次は、帽子を被りなおし続きを始めた。
 そして扉の向こうでは――――――――――・・・・















 新一が、手に2つの缶珈琲を持って入るタイミングを狙っていた。




















Fin