「―――――っつー・・・・んだよ、ちく・・・しょ・・っ・・・」

























 ・・・・暑い。

 熱い。













 新一は、自室のベッドの上で枕を抱えて胸を押える。













 定期的に身体に訪れる熱い感覚。

 以前体験した事のあるものに似て非なる、嫌な感覚。







 痛みは特に、感じない。

 ただ・・・・・身体がもの凄い脱力状態。





















 ――――――――・・・・・・確実に、短くなってきている間隔。































 8月も後半。



 昨日の夜から発生仕出したこの状態に新一は起き上がれる気力も無く、朝からずっと熱い息を漏らしていた。

























 ・・・まずい。



 もうすぐ、服部が来る―――――・・・・

























 こんな姿は見せられない。

 



 ・・・・・・・あいつに心配なんて、されたくない。



























「――――――・・・起きなきゃ・・・・・・」



























 汗でベタつく前髪。

 滲む、視界。



 見上げれば・・・・今日も真っ青な、憎らしいくらいの空。















 新一は何とか根性を出し二本足で立つと、そのまま着替えを掴みシャワーへと這って行った。

















 工藤新一。

 今や日本の救世主。ご存知『東の名探偵』。



 数年前とある薬を飲まされ身体が幼児化し、現在は何とか元の身体を取り戻した彼だったが。











 幾度にも渡る薬の投与。

 そして確実に変化した、体力のバランスの結果――――――・・・・

















 『いつ壊れても不思議じゃない、不安定な細胞』





 ・・・・・そう、彼の戦友でもある宮野志保に宣告されたのはいつの事だったか。

























 もう何度も何度も。

 それこそ定期検診の度に言われ続けている、その言葉。







 ・・・・・・頭から離れた事などない、言葉。



















 医者から『病気ではない』と言われる症状に――――――・・・・

 余計に、焦りを感じずにはいられなかった。




































ひとくぎり































「この前、立てなくなって大学休んだのが・・・・確か先月の・・・・・・・・」



















 新一は、風呂の縁に腰掛けて考える。

 頭からうるさいくらいに流れ出るシャワーが、次々と髪の毛を湿らせて。



















 ――――――・・・駄目だ・・・・・





















 そして、そのまま腰をタイルに付ける。

 背中も壁に寄りかかり、ふぅと息を付き目を閉じた。





















「なっさけね――――・・・・・・・・」

















 顔に伝うのは、確かにお湯の雫。

 けれども・・・・









 これで3度目。

 暑さとのダブルパンチで、既に気力も限界状態。



 願うのは、こんな時に事件の連絡が入らない事だけ。

 ・・・・そして。



















「―――――・・・・・そういや、あん時もヤバかったな」



















 あれは6月の始めだったろうか。

 定期検診の帰りに、どうしても平次に逢いたくなって押しかけた時があった。



 あの夜の月は見事な月で。

 赤く、紅く染まって見えるその月の姿が―――――――・・・やけに哀しく見えたのを覚えている。

















 そうだ。



 ・・・・始まりは、あの時だった。






























ひとくぎり























「何だ、いないのか服部」













 6月最初の日曜日。先勝。

 この日は、申し分ない程の快晴。



 既に夏日と報道される最近の気候の中。

 新一は、平次の東京の住まいであるマンションの扉の前で軽く息を付いた。









 ・・・まあ、約束していた訳ではなかったし。

 車も見あたらなかったから、何処かに出かけたのだろうと結論を出す。



 だが帰ろうとしたその時、扉の向こうでカリカリと音がした。



















「ん?」









 新一は、耳を近づける。

 聞き覚えのあるこの音は・・・・・















「お前置いてかれたのか? 薄情なご主人様だなー」

「―――・・・・誰が薄情やねん」











 後ろからの声に振り向いた新一。

 其処に、手にいっぱいの紙袋を抱える平次を認識する。



 だがその袋の中身が容易に想像できて、途端に不機嫌な顔になった。













「今日は来れない言うとったやんか。どないしてん?」

「ちょっとな・・・・何だよその大荷物」

「コレ? 桜子の」

「―――――・・・は・・・・やっぱり」















 新一とは逆に、もの凄く嬉しそうな平次。











 こんな満面の笑みなんぞ、もう見慣れた。

 しかも、それが必ずしも自分だけに向けられるものでもないってのも―――――・・・・新一はもう慣れた。





 けど。

















 ・・・・やっぱり、無性に腹が立つ。





















 『桜子』

 それは1年程前から平次が飼い出した、アメリカン・ショートヘアの猫の名前だ。



 親戚から譲り受け、一目惚れしたという仔猫。

 大事に大事に、本当に「親ばか」丸出しのその可愛がりぶりは、新一にとってかなりの嫉妬の対象だ。















「暑いんだ。早く中入れろ」

「ちょお待てや・・・っと、ほい、鍵」









 両手が塞がっているから、平次は新一に鍵を渡す。

 受け取り開けると、ぴょん!と中から桜子が飛び出して来た。













「はは。相変わらず元気だなお前」

「工藤~ そんまま桜子連れて来てや」

「おう」









 ひょいと抱きかかえ、扉を閉める。

 そして当たり前の様に鍵をかけると、中へと入った。
























ひとくぎり























「・・・・また買ったのか」

「せやかて可愛ええのぎょーさん出とるんやもん。服着させる訳いかんし、コレくらいオシャレせな!」

「お前な・・・・・自分より金かけてどーすんだ」















 また、というのは「首輪」の事だ。



 動物というのは、人間と違って服を着替えることがない。だから、せめて首輪だけでもバリエーション豊かにさせたい・・・というのが平次の持論らしい。



 ・・・それが迷惑かどうかは、当の本人が言葉を発せないから聞けないが・・・まあ、桜子のこの上機嫌さを見れば、気に入っているのだろう。











 相変わらずこの飼い主と飼い猫は・・・・

 ラブラブでムカツク。

























 ふと、思う。















 ――――――・・・桜子が居なくなったら・・・・服部はもの凄く悲しむだろうな。



























 動物は人間に比べて遥かに寿命が短い。

 ・・・・・・必ず、その時は来る。





 動物だけじゃなくて人間も。

 俺も服部も・・・・・いつその時が来るかは解らないし、避けられないことだ・・・・・・











 表情が、僅かに曇りだす。



















 今日午前中いっぱい新一は検査を受けてきた。

 『コナン』から『新一』に戻ってから、もと灰原哀と名乗っていた宮野志保の勤める研究室で、月に1度そこで必ず受けている定期検診。























『・・・・・・工藤君。覚悟だけはしておいてね』

















 ぽつりと。

 彼女は、最初の検診の時にこう呟いた。







 誰しもが、いずれ迎えるものだとしても。

 俺や灰原にその時期が訪れるのは・・・・・・そんな遠い未来の事じゃないかもしれないと言う。























 ―――――――・・・・・後悔は、したくない。





















 だから逢える時に逢おうと決めた。

























「工藤・・・・目、赤い」

「ん? ああ、コンタクトだからな」

「合わんなら無理して付けんでもええのに」

「だって・・・・・眼鏡だと邪魔だろ」















 何に? とは聞かない。

 それは解りきっている事。



















 ・・・・・・だから、新一は瞳を閉じる。























 『隠された秘密はずっと、きみの中で息を殺して・・・・・

 一筋の月の光に、真実がいま暴かれる』



 そんな歌があったっけなと。

 新一は口唇に触れる生暖かい感覚に酔いながら、思った。





















 ・・・・・ちらと覗き見た平次の肩越しの月が紅い。

 桜子は眠ってしまったようで、ソファの上で丸くなっている。























「服部」

「ん?」

「・・・やっぱいいや」

「何やねんな」















 すぐに離れていった口唇。

 そして胸の上に拳を置き目を伏せる、新一。





 いつになく『らしくない』姿に、平次は急に不安になる。





















 ・・・だから。





 だから――――――・・・・・そのまま身体を、押し倒した。

























「・・・・桜子が起きるぞ」

「ほんなら、ベッドに直行しよか」

「脱げよ・・・」

「は?」

「・・・・・・・久々に風呂場でヤろうぜ」





























 例え、押さえつけられていようとも。

 直接的に言えば『入れられる』立場でも。



 新一の光は決して威力を失わない。























 ・・・・睨み上げる視線。



 今日の新一は、桜子の匂いをさせる平次が我慢できるほど人間が出来てはいなかった。





















 改めて突き付けられた宣告。



 無いかもしれない、自分の未来。

















 どうしても、繋ぎとめておきたい『存在』―――――――・・・・・



























「・・・こらまた、えらい積極的やな」

「―――――・・・・つべこべ言ってると気が変わるぞ」

「そら困る」





















 口の端だけで微笑う平次。

 応えるように再びそれを塞ぐと・・・慣れた手つきで新一から衣服を剥ぎ取り始めた。


























ひとくぎり



























「―――――・・・あっちー・・・・・・」

「ん~・・・」

「・・・・おい・・・・・どけよ」















 表向き『熱しやすく冷めやすい』新一。

 達したあと正常に戻る思考は、照れから相手を遠ざけようとする。



 汗と水滴が混じる肌が余計に熱を高めていた。



















「なあ工藤」

「あ?」

「――――・・・・気持ちええもんやろ? 心臓の音って」

「・・・え」

















 離れようとする新一を、引き止める腕。

 それを示すように更に身体を抱き寄せる。











 ・・・・・・背中に感じる鼓動が熱い。

























「俺、この音がめっちゃ好きなんや・・・・・・・・・安心、するし」

「は・・・っとり・・・・・」































 ・・・・どうしてか。



 新一の気持ちを、知ってか知らずか―――――・・・・













 平次はただ目の前の身体を抱きしめ、肩口に顔を埋める。





























「―――・・・まるで子供だな」

「しゃあないやん。事実やもん」

「まあ・・・・俺も、安心するけどな」

「そやろ?」



















 また満面の笑みを平次は向ける。

 それでも緩めない強い腕に、たまらない想いが湧き起こる。









 ――――――――・・・バスルームは、既に闇が支配し始め。

 僅かな月の光が・・・・新一の髪から伝う雫を照らした。









 その時、静寂を打ち破る色気のない音が響く。























「・・・・ムード台なしやで」

「悪かったな・・・・昼飯食ってなかったし、運動すりゃ腹も減るっつの」

「あ! せや、食料調達せな足りんかったんや!!」

「俺、もっかい洗ってから出るから・・・早く買ってこい」















 不意打ちのキスをかまし、身体を離す。

 未練を残す平次を追い出すと、新一は赤くなりながらシャワーを取った。



















 ―――――――・・・だが、その時にそれは起こった。

































「――――――――――――――・・・・え・・・・・・・?・・・・」





























 最初、地震かと思った。

 自分がどんな状態になっているのか認識するのに、時間がかかる。











 ・・・・・気を、失っていた。





























 ――――――――・・・何だ今の・・・・・・・































 自分の頬にあたるタイルの感触で倒れているんだと解った。

 しかし、『起きよう』と頭では思っているのにも関わらず・・・・金縛りの如く身体が言う事をきかない。





 嫌な動悸も聞こえ出し。

 冷や汗とも違う嫌な感じが・・・・中から湧き出てくる気がした。





 頭上からは、シャワー。





























『・・・・・・工藤君。覚悟だけはしておいてね』











「――――――――――――――――・・・・・・っ・・・!!?」

































 途端に思い出す、灰原哀の言葉。



 ・・・・・・新一は頭の中が真っ白になる。

































 俺は、死ぬのか・・・・・?





























 冗談じゃねえ。



 俺は、まだまだやりたい事がある・・・・・・・





















 ・・・まだまだ――――――――・・・・あいつに言ってない、事だって・・・・・・・・・



































 正体不明の湧き上がってくる『熱』に、新一は耐えられず目を閉じた。











 降り注ぐ暖かい雨。

 余計に身体が熱を持つ感覚に、息を漏らす。

























「――――――――・・・・・ぅ――――・・・・・っ・・・あ・・・・・」



















 本当にこのまま終わりかと思った時、熱が引き始めた。

 胸を撫で下ろした新一は、なんとか取り戻した重力を感じながらシャワーの蛇口を戻した・・・・


























ひとくぎり





























「―――――――・・・やーっと・・・・・おさまったかな」





















 ぐったりと。

 またしても風呂の縁に腰掛ける新一。



 ・・・・今回は「間隔」が短かくて良かったと息を付いた時、曇りガラスの向こうからカリカリと音がした。





















「?」











 見覚えのある影。

 ちいさい、ちいさな茶色い・・・・・

















「・・・桜子!?」











 微かに聴こえる鳴き声に、新一は驚いて扉を開ける。

 すると、ぴょん!と飛びついて来た。















「な、何だよお前、水嫌いなんじゃなかったか?」

「――――・・・・そーなんや。俺も驚いてん」

「服部・・・・い、痛てコラ爪たてんな! くすぐってーってのっ」













 最近、仲の良いこの2人。

 平次はちょっと面白くないと思いつつ・・・・目のやり場に困りタオルを差し出した。















「ホレ・・・もう上がるんやろ」

「サンキュー」

「桜子。こっち来」

「・・・・なにムクれてんだよ、バーカ」















 濡れた髪。

 明るい風呂場にハッキリと浮き出される綺麗な身体のライン。









 ・・・・・・口元が誘うように僅かに上がり、そのまま口付ける。





















「早かったな」

「工藤・・・・」

「ん?」

「――――――・・・いや」

「何だよ」

















 ・・・・抱きしめた身体が、熱かった。



 鼓動が何だか、異常に――――――・・・・



























 でも。



 平次は、その疑問を飲み込む。



























「・・・・ちょお、太ったんちゃう?」

「え!?」

「みゃー!!」

「わわわ、わりぃ桜子っ」

















 ついギュッとしてしまった為、桜子がもがく。

 やっぱり濡れた感触が我慢できなくなったらしく、必死に離れようとしていた。





 さっきは自分から飛びついて来たのに。

 ・・・2人は、顔を見合わせて笑った。




























ひとくぎり

























「―――――――なぁ・・・・おい服部・・・・・・・」

「ん~?」

「・・・・おいってば」

「みゃ~?」

「てめーは黙ってろ桜子!!」















 冷房の程よく効いた、リビング。

 ソファの上で長い足を投げ出し、お腹に桜子を乗っけて上機嫌な平次。



 対して、正面のテーブルに頬をくっつけうな垂れる新一。

 視線は・・・かなり不機嫌。



















「大体だな、なんで連れてくんだよ?」

「アホ。暑さに弱いんやでこいつ。なぁ?」

「・・・・・・じゃあ俺んち来ねえでずっと一緒に自分トコいりゃあいいじゃねぇか」

「そらーつまらんもん」

「は・・・?」













 ますます睨みつける新一。

 平次は、そんな視線を横目で感じてますます嬉しくなる。





















 桜子が好きなのは事実。

 けれどもこの場面を見せ付けている時の新一の反応が、特に好きなのだから止められない。

















 ――――――・・・・工藤が、俺に惚れてくれとると実感出来る瞬間。





























 緩む顔を何とか隠し、平次は問う。



















「で、何や」

「昼飯・・・・どうすっかなーと思って。買いに行くけど、何がいい?」

「腹減ったん? ほんなら、そば持って来たし作ろか」

















 慌てて平次は起き上がる。

 ひょいと桜子を渡すと、キッチンへ消えた。

























「・・・・? 何か変だなアイツ」















 首を傾げると、何故か桜子まで『にゃにゃ?』と傾げる。

 その姿はやっぱり可愛くて・・・・深く考えず、大人しくソファで一緒に待つことにした。







































 ・・・・・・さっきまで自分が寝そべっていた場所で、二匹の猫がじゃれあっている。























 あまりにも当たり前に感じている、日常。

 明日が必ず来るという確証なんかない、日常・・・・























 最近の新一の雰囲気。

 そしてさっきの風呂場から感じた、嫌な予感。







 どこかおかしいとしか思えない―――――・・・・・ふとした時の表情。



























 平次は、少し前から新一の状態に疑問を抱いていた。































 空には、まだ星は見えない。



 けれども。

















 ―――――――――・・・・昼間でも見える薄い月は、確かに紅く色づいている。



























 レッド・ムーン。



 浮かび上がる、君の『紅』。





























 ・・・・それは太陽の元でも光る、一筋の命の光。































Fin