そばにおいで[05]







 あれはまだ冬になる前。

 風邪を引いてしまった俺の家に、服部が見舞いに来てくれたのが始まり。











 ・・・・・・ほんの数ヶ月前のことなのに、もう何年も前の事の様で。





















 クリスマスの日に偶然逢って。

 その時ちょっと厄介な事に巻き込まれていたから、それを理由に抱きしめてもらって・・・・





 眠るあいつの口唇に触れて、それで諦めた筈だった。



























 知らされた自分の身体の状態。

 何となく感づいてはいたけど、ハッキリと宣告され―――――・・・・・思わず来てしまった服部の部屋。

 













 『死』は特別でもなんでもない。

 自分達のいつでも身近にあるもので、自分達がいつ「そう」なるかも解らないもの。



 そんなこと、解っていたのに。

 解っていた筈なのに・・・・・実際はちっとも解っちゃいなかった。

















 人間に限らず生き物は決して不死身ではない。

 だからこそ生が美しいもので、その為にみんな今を一生懸命生きている・・・・・・・





 ・・・・・でも。



























 気を付けていれば防げる。



 自分の身体は、そういうものではなかった――――――――――・・・・・・





























 落ちた体力。

 変化した細胞。



 現在の医療では探し様のない、原因。





 だから薬もなく。

 下手に飲んでも以前に飲まされた薬の影響で、どんな状態に変化するか解らない・・・・













 ずっとこの所、風邪によく似た症状を感じている。

 微熱や咳、喉の痛みなど。





 ・・・・しかし薬は全く効かず。









 飲んでも余計にだるくなったり。

 一日中、ベッドから起き上がれなくなる事もあった。













 想いを自覚した完全な冬の前の日。

 新一が平次と映画を観る約束をしていて、けれども風邪を引いて行くことが出来なかった日。



 この日も薬を飲んで、熱を下げようとしたが・・・・





















 ――――――――・・・・・・実際には、全く効かずに次の日も寝込んでしまった。





























 服部はそばにいてくれて。

 それだけで本当に嬉しくて。















 『今は、このままでいい』と――――――――・・・・・・本気で思った。

































 人間は欲張りだ。

 俺は、欲張りだ。



 あの時はそれで良いと思っていたのに、一度相手の体温を知ってから感情は止まらなかった。



























 ・・・・このまま黙って想いを殺して、俺は誰かと付き合うようになるのだろうか。

 そうしていつかは結婚するのだろうか。





 このまま時が経てば、この想いは消えてくれる?

 何年か後に・・・・『あの頃は楽しかったよなあ』なんて、笑って思い出話をするのだろうか。































 ――――――・・・・・・・服部も、いつかは誰かと結婚するのだろうか。







































 あの腕が、胸が誰かを包む・・・・・

 自分以外の誰かのものになる。







 あの優しい目も誰かだけを映し、あの口唇も・・・・・・誰かの名を語り、そして。


































 ・・・・・・あの低く甘い声で囁き(いだ)くのか。

































 この想いは、一体どこへ行けばいいと言うのだろう・・・・・?












































ひとくぎり

























 結局新一は、あのままマンションを出た。



 まだ電車は走ってる時間だったし。

 雨も弱くなってきたから、空になった缶珈琲を捨て歩き出す。







 平次は来なかった。

 その事実が、駅へと向かう足取りを重くさせていた。



















 東京の深夜のホームは人気(ひとけ)がまだまだなくならない。

 しかし、他人に感心など持つことのない都心の人間は・・・・・新一がこの寒いのにコートもなしでいることにも無関心。



 それが、こんなに嬉しいと思ったことはなかった。









 風呂に入った後だから髪も撫で付けておらず。

 人工的な明かりの下、目元まで覆う明るい前髪が有名人である新一を隠す。















 目的の駅までの数十分間。

 来た電車に乗り込むと、俯きうな垂れ新一は目を閉じた。















 ・・・・・電車の揺れる音が定期的に身体と耳に響く。



























 ――――――――――・・・もう、どうでもいいや。



















 どうなっても。



 明日、細胞が壊れて自分自身が消えたって――――――・・・・



























 投げやりな思考。

 自嘲気味の微笑い。


 自分がこんなに情けないと思わなかった。

 こんなに、弱いと思わなかった。

























 ―――――――――――・・・・・こんなに自分勝手な事を考えるとは思わなかった。

































 血も涙もないくらい冷静沈着な東の名探偵。

 それは、誰のことだった?



 真実だけを追い、感情など介入させず組み立てる論理。

 それは誰の推理だった?























 『答え』のない『感情の方程式』。









 ・・・・・恋愛経験が豊富ではない新一にとって、それは他の何も考えれらなくなるほど苦しい問題だった。































 やがて目的の駅に着く。

 降りようと席を立った時に、それは起こった。



























「・・・・・・・・・・・っ・・・いってえ・・・・・・・・・?」

























 濡れた服そのまま着て来たからかな――――――・・・・・あってー・・・・・・





















 さっきから僅かに感じていた頭痛。

 その強烈な一撃が、頭に響いた。



 とりあえず電車を降りベンチに座る。

 頭を押さえたまま暫く、冷たい風にあたっていた。





















「こりゃマジでヤバイかも・・・・・タクシーで、帰るか」















 自宅まで歩いて15分。

 いつもは平気な距離だが、この状態ではちょっと無理だ。



 でも立ち上がった時。























「――――――・・・・あれ・・・」

「工藤!!」





























 急に目の前が真っ暗になり―――――――・・・バランスを失った。































 あれ・・・?





 今・・・・・誰かの声が、聴こえた気がする・・・・・・・・・







































「おえ、工藤大丈夫か?」

「・・・・・・だれ・・・」

「こんな冷えきってもうて・・・・何しとるん」

「ぅ・・・・痛・・・・揺らすな・・・」

「工藤? ちょ、ちょおマジでしっかしりせえ!」















 冷えた身体に暖かい体温が被さってくる。

 それは憶えのある感触。



 しかし新一は、頭を押さえたまま動かない。

















「あったかー・・・・・・」

「・・・・工藤」













 目を閉じ、支える手が誰のものなのかも解らず。

 でも冷たい身体は温かい感触を求めて擦り寄ってきた。

























「アホやなあホンマ――――――・・・」



















 そう言いながら自分が羽織ってきたコートを新一の身体に掛ける人物。

 それは、さっきまで一緒にいた服部平次だった。























 雨の中、結局追いかけ外に出た。

 でもそんなに離れていないはずなのに、既に影も形も見えなくて。



 諦めてマンションに戻ろうとした。

 ・・・でも、足は駅へと向かってしまった。





 ホームを隈なく探したが、どこにも気配はなく。

 衝動的に来た電車に乗り込みこの駅で降りた。



























 ――――――――・・・・待っていれば、来る。







 きっと、来る。



























 交通手段は電車かタクシーだったから、2分の1の確立だったけれど・・・・・

























 ベンチに座り、タバコもひと箱終わりに近づいた頃。

 静かに到着した電車から出てきた、新一。



 この季節に上着もなしで、なのに震えてもいなくて。

 だから様子がおかしいと感じた。





 背中合わせのベンチの向こう側に腰を下ろし、頭を抱えてしまった新一。

 苦しそうに何か呟いている新一。















 ・・・・・・・声を掛けるタイミングも解らず困っていたら、急に立ち上がり崩れだしたのだから焦った。































「立てるか?」

「・・・・目・・・・開け、られね・・・っつー・・・・・・」

「熱は――――・・・あるみたいやな」















 濡れた身体を、せっかく風呂で温めたのに。

 そのまま帰してしまった。











 ・・・・・・止める、べきだった。























 この東の名探偵は自分より遥かに大人な部分が多いのに。

 ふとした事が、とても子供っぽい。



 どうやったらこんな状態になるかだなんて解ってる筈なのに。

 あのまま上着もなく外に出たら、こうなる事くらい解っていた筈なのに・・・・・















 解って・・・・いたから・・・・?





















「―――――――・・・・・・・」

















 落ち着いたのか新一は薄っすらと目を開けた。

 身体が、何だか暖かい。



 何で上着が・・・?

 そう思ったのと同時に、隣の気配に気づいた。



















「・・・・服部!?」

「ああもう、なんつー顔しとんねん。色男が台なしやな」

「なん・・・で・・・・・・」

「堪忍せえや。もうこれ性分やねん・・・・・うっとおしいかもしれんけどな」

「・・・・・・」























 ――――――――・・・・・・やば・・・っ・・・・・・























 ・・・・急に何故だか、胸の奥から堪らない気持ちが込み上がってくる。



 新一はそれに戸惑い顔を伏せた。





















 目頭が熱い。

 頬が、身体が熱い。









 涙は滲み、今にも零れそうだ・・・・・















「まだ痛むか」

「ちょ、ちょっとな」

「そーか・・・・ならもーちょい、座ってこか」













 言いながら平次は自分のマフラーを外す。

 そしてそれで、新一の頭を上からすっぽりと包んだ。









 ・・・・・・とても暖かく、それは余計に心を震わせる。





























 どうしよう・・・・・





 ・・・・止まらない・・・・・これ以上、どうしようも・・・・・・・・



















 優しくするな。

 これ以上、俺に構うな・・・・

















 じゃないと、俺は―――――――――――・・・俺は・・・・・・・・



















「風・・・・強うなって来たで」

「悪いなこれ・・・・・お前が、寒いのに」

「平気や。鍛え方ちゃうし」

「・・・・頼もしいじゃん」













 精一杯の笑顔。

 ふわっと、新一は平次に向け顔を上げる。



















「俺も結構、鍛えてあったんだけどな―――――――・・・・・今じゃこんなザマだ。情けねえ・・・」

「しゃあないわな。色々あったんやし」

















 しかも2度目。

 どうしてかこの駅で自分は、眩暈を起こす。















 ――――――トラウマ、か・・・・?

















 力ない微笑み。

 自嘲気味にも思える表情の新一に、平次は瞬間どきりとした。







 そして今言った新一の言葉。

 もちろん、深い意味があるなんて平次は思ってもいない。





 ただ、蒼白い肌が深夜に浮かび上がり・・・・・そのまま消えそうな錯覚に陥った。



















「・・・・・・・!?」

「ん?」















 ごしごしと目を擦る。

 嫌な予感が胸を掠め、平次は新一をじっと見た。



















「・・・何」

「い、いや。ほな送るわ」

「送る? 女相手みたいな言い方すんな」

「なら、『付いてったる』」

「――――・・・子供相手みたいな言い方すんな」

「じゃあどう言えばええねん!?」











 ああ言えばこう言うのはいつものこと。

 普段の雰囲気が戻った新一に、平次はホッとして立ち上がる。



 新一も、今度は無事に。













 駅を出ると、もう静まり返っていた。

 25時を廻っているから当然といえば当然なのだが・・・・



 上がった雨は、水溜りとなって足元に佇む。













「・・・・・・泊まるだろ」

「へ?」

「もう遅いし、泊まるよな・・・・・?」

「・・・・そやな」











 少し先を歩く新一。

 顔だけ振り返り、そう問う。





 何故か疑問形なのに命令形で―――――――――・・・・

















 もちろん。



 ・・・・その誘いを断る理由は、平次になかった。
























ひとくぎり

























 平次には今夜しかなかった。

 でも、今夜を逃しても――――――――・・・・再来月からがあると思っていた。









 新一も今夜しかなかった。


 新一には・・・・本当に今夜しかなかった。















「――――・・・コレ、何や」

「あ・・・・そか、置いとくって言ってたっけ・・・・・悪い、中入れてくれ」

「?」

「蘭からの土産だよ――――・・・『帰れない』って言ったら・・・・玄関前、置いとくって言ってたから」











 工藤邸の扉の脇。

 紙袋がひとつ、寒そうに佇んでいるのを平次が見つける。



 新一は鍵を開け家へ身を入れた。













 ・・・・・・平次が、驚いた顔をしている。













「何してんだ。寒いから早く入れ」

「――――・・・・一緒にいたんちゃうんか」

「誰と?」

「誰て・・・・・・・毛利の、ねーちゃんと」

「そんな事言った憶えないけど」









 背中で答えるそれは抑揚がなく。

 表情の読めない声に、平次は次の言葉が出ない。



 新一はそのままリビングへ入り電気を付けた。

















 ・・・・・・遅れて上がった平次。



 そっと中を覗くと、すぐそこに新一が立っていた。























「――――――――――――――――・・・・・・さっきはいてくれて助かったよ。ありがとな」

























 力なく微笑うその姿は、やっぱりまだ痛みを伴っているらしく。

 頭に手をあてながら呟くその姿が妙に目に焼き付いた。



 新一は『コレもさんきゅ』とコートを差し出し、壁の時計に目をやる。

 もう、午前2時近い。













「・・・悪いけど、ちょっと風呂入ってくる。お前、勝手にしてて」

「大丈夫か?」

「――――――・・・・心配なら一緒に入るか?」

「!」

「バーカ・・・・・冗談だっつの」











 瞬間表情が強張る。

 しかし口元しか動かさない新一は、そう言うとゆっくり奥へと消えて行った。




 後に残る・・・・鮮やかな残像。



















 ・・・・・解らない。



 本当に工藤は、何を考えているか解らない。

















 誘いの文句にも似たそれは、でもあっさりと消えてゆく――――――――――・・・・





























「工藤・・・・・・・・」

















 自分のコートから僅かに雨の香りがする。

 そして、ほのかな体温も・・・・・











 ――――――・・・堪えきれず平次は頭を振った。





















「アカンわ・・・・俺、これから自分で、何するか解らへん」















 さっきも自分を押さえるのが精一杯だった。

 逸る鼓動を悟られないようにするのに、一生懸命だった。























 だって知られたら、もう一緒にはいられない・・・・・・


 ・・・・・そばにいられない。





















 毛利蘭と一緒だと思っていたのに『お前の勘違い』だと言われた。

 とすると、新一を置いてさっさと走り去ってしまった自分は―――――・・・・・早とちりという事だ。







 あの後、工藤はひとりで帰ったのか?

 そして、家に戻って・・・・・戻る前に、何かがあったのだろうか・・・・・・





 だって。













 ・・・・あんな玄関の目立つ所に荷物が置かれてあって、気づいてなかったのだ。



























「ホンマに・・・・・どないしたんや工藤」











 呟きソファに腰を下ろす。

 そうしてポケットから、携帯電話を取り出した。











 ・・・・・・平次は数時間前に何度も掛けた番号を、ただじっと見つめていた。






























ひとくぎり



























鏡に映る自分自身。

新一は、耳に手をあてピアスを取る。





















「・・・・・痛っ・・・」











 扱いにまだ慣れなく、少し引っ掛けてしまいつい声を上げる。

 小さく息を付くとそれを洗面台に置いた。













 裸の自分。


 蛍光灯の明かりが、一層蒼白く鏡の中に肌を映す。

















「寒気してきた――――――・・・さっさと入ろ・・・・・ん?」















 その時横の窓から、フラッシュを感じた。

 新一は怪訝な顔をする。











「・・・・・」











 嫌な予感が全身を駆け巡る。

 思い出す妙な胸騒ぎが、また頭痛と吐き気を思い出させた。





















 ―――――――――――・・・まさか・・・・・





















 すぐカーテンを閉め風呂場に入る。

 ここの窓も急いで鍵を閉め、レールを下ろした。











 ・・・・ざっと身体を流し湯船に浸かる。

























 ―――――――・・・・・・・・・・・まだ・・・諦めてねえのかよ・・・・・?

























 この2ヶ月家を空けていたというのに。

 帰ってきて、まだ3日と経っていないのに・・・・・・









 あれは去年の12月。

 数週間程、ストーカーに付き纏われ・・・・・



 偶然逢った平次に、この家で助けてもらったのがクリスマスの日。









 もう終わったと思ったのに。

 あれで、諦めたと思ってたのに。























 ―――――――――・・・・そんなに簡単には片付かないって事か・・・・・























 そう言えば次の日から俺はロスに飛んで。

 最近まで、帰って来なかったんだもんな・・・・・・





























「・・・・もう、面倒くせえな」



















 でも意外に落ち着いている自分。

 確かに気持ち悪いが、どうせ自分は明日からいなくなるのだ。



 焦って動揺するだけ無駄というもの。











 湯を手ですくい、顔にかける。

 新一はそうしてまた考えた。

























「―――――――・・・・・・あれだけじゃ駄目だって事は、もっとハッキリ見せ付ければいいのか」

























 つい声に出す。



 それはまるで、自分の声ではないように響いて・・・・



















 瞬間、窓の外がざわついた気がした。



































 ――――――――――・・・見せてやる。





 姿も顔も見せない、卑怯なお前に。































 女だからって、今まで放っておいたのに・・・・・・































 女は・・・・『女』はどんな方法でだって『男』にその想いを、伝えられる存在なのに・・・・・・・・



 どうして、その幸福さが解らない・・・・?































 激しい怒りがこみ上げてきた。

 新一は、とにかく悔しかった。



















 したくても出来ない『想い』があるんだ。



 伝えたくても、伝えたら終わってしまう『関係』があるんだ。














 ・・・・・・・どんなに好きでも、諦めなきゃいけない気持ちが―――――――・・・・

 同性同士には、あるのに・・・・・

































「はっとり・・・・・」













 囁く言葉は僅かな波紋をつくる。

 湯気か汗か、どちらか解らない雫が目元から滲む。























 熱かった。



 身体も、心も何もかも全部。





















 そして・・・・・





























 ・・・・・・・さあ工藤新一。



 気を、落ち着かせろ。



























 大丈夫。



 俺は――――――・・・・『藤峰有希子』の遺伝子を、受け継いでいる。































 あいつの中に―――――――・・・・・・『俺』を残すんだ・・・

































 ―――――――――・・・・・叶わなくとも、忘れられなくさせる為に。





































 新一はゆっくり深呼吸する。

 そうして湯船から上がると・・・・・バスルームの扉を開け、洗面器を派手に廊下へと叩きつけた。