誰かを想い夜は明ける





「なあ、海行かへん?」

「海?」

「今年まだ行ってないやろ」

「・・・・まさか『今から』とか言うんじゃねえだろうな」

















 もうすぐやってくるワールドカップ。

 その特集番組へのゲスト出演に、最近ひっぱりだこの工藤新一。



 今もその収録を終えて帰って来たばかり。















 現在、午後11時30分。

 『ただいま』とリビングへ入って来た新一の耳に飛び込んで来たのは、『おかえり』ではなくその一言で。



 だからつい、不機嫌な顔をした。

 















「察しええやん」

「却下」

「そんな即答せんでも」

「ふざけんな、俺は疲れてんだ。行くならお前一人で行ってこい」

「運転は俺がしたるし」

「しつこいな。眠いんだよ」



















 ・・・・甘い関西弁が静かに響く。

 声の主は、服部平次だ。



 東京の大学に進学した彼は、4年の間だけ新宿にある父親名義のマンションに住む事になり、前よりも近所になったお陰でこうして頻繁に新一の家に遊びに来る事が多くなった。




 昨日も夕方突然携帯に連絡が入り、夜遅く帰った新一を玄関の前で待っていたのだ。















 眠いのに。

 夜遅くまで、酒に付き合わされて。



 次の日朝から講義があったから、新一は平次に『鍵はいつものトコな』と言い残し家を出た。

















 ・・・・・とっくに帰ったと思ってたのにまだいたとは。



















「せや。俺はしつこいんや」

「ちょ、何しやがる!」

「着くまで寝ててええから」

「人の話を聞け!」















 新一の機嫌などお構いなく、平次はその腕を引っ張り家の外に出る。

 そうして預かっていた鍵で扉を閉めると、さっさと工藤邸の車庫に向かった。






























ひとくぎり

























 さすがにこの時間は混雑もない。

 首都高を軽快に走りながら、平次は隣をちらりと見た。















 ・・・・すっかり寝入っている新一。



 思いきりシートを倒し、窓の方に身体を向けている。























「――――――・・・かなり疲れとるな」

















 最近の新一はサービス精神旺盛で色んな番組に登場している。

 それは彼が無類のサッカー好きで、もうすぐ4年に1度のお祭りであるワールドカップ開催が近いからだった。





 ・・・・普段ならば、滅多にメディアに出るのをOKしない工藤新一。

 しかし。ワールドカップ関連は別だと言う事を番組側も調べ尽くしているらしく・・・・











 その結果。



 ここ最近、ずっと収録の日々が続いている。













『そんなんで身体平気なんか?全部受けんでも、どれか断わってもええんちゃう?』

『ひとつに出ちまったら何処も断われねえよ――――・・・・結構、父さん関係でも付き合いみんな有るしな』













 そう言って微笑う表情はどこか蒼く。

 いつもと違う部分で気を遣わなければいけないから、疲れも相当なものらしかった。











 まあ。

 でも結局は、本人が好きでやってる事だ。



 それにワールドカップが終われば元の日常に戻るだろうし。

 平次は心配だけれども、あえてそれ以上口にする事は無かった。











 ・・・のだが。

















「こいつ鏡見とんのか――――――――・・・・・ほんとカオ、真っ青やっちゅーねん」

















 さっき帰って来た新一を見た時、ぎょっとしてしまった。















 気付いているのか。

 それとも気付いてないのか。



 明らかに『疲労』の色を隠さないそれに、平次はつい『海行かへん?』と口走ってしまった。













 どこか人の気配の無い所へ。

 工藤新一が、ゆっくり出来る所へ。

















 ・・・・家の中じゃなく、思いきり深呼吸出来る場所へ。



















 だから平次は新一を連れ出した。

 自分のマンションに戻る気がしなかったのは、この為だったのだ。

























「あ。俺明日一コマから授業やった・・・・・ま、ええか」













 ふと。

 平次は明日の講義があった事を思い出す。



 しかしそれよりも大事なのは『今』だ。















 工藤新一。





 ・・・・・この服部平次にとって、彼より優先させる事など何もないのだから。


































ひとくぎり



























「――――・・・・・・・寒む・・・」

「起きたか?」

「何・・・あれ、着いてたのか」

「ちょお前にな」











 隣の身体が震えて、少しシートが揺れた。

 新一が目を覚ましたのだ。



 動いてない車に『?』と身体を起こす。













「今、何時・・・・・」

「2時」

「・・・・・お前眠くねえのかよ?」

「俺は昼寝しとったからな」

「――――・・・あ、そ」











 ふわわと欠伸。

 新一はもぞもぞと身体を動かし、毛布が掛けられてあるのに気付く。

















「・・・・これ」

「ああソレ。お前いっつも俺に運転させると寝るやん? せやからトランクに勝手に積んどいたんや。また風邪引かれても困るしな」

「あ、そ・・・・」















 同じ返事。

 本当にこいつはマメな男だ。そう新一は感心しつつ毛布を被りなおした。



 どこからか風を感じ、結構寒い。















「で、どこの海」

「千葉の外房や。朝は、どっかで美味い魚介類食おうな」

「・・・・朝までココで過ごすのかよ」

「ええやん。寒いんなら俺が暖めたるし」

「そーいや桜子どうしたんだよ。2日も放っておいて大丈夫なのか?」

「オカンに預けとるし平気や」

「ふーん・・・・・」













 新一の表情が変わったのを平次は見逃さない。











 桜子。

 それは、平次の飼っている猫の名前だ。







 いつでも何処でも、平次のそばには桜子がいて。

 余程のことが無い限り平次は桜子を連れていて。











 ・・・・いない時でも、必ずどこかしらに『ニオイ』をさせていたのだが。





















「お前―――――・・・・今日、逢いに行ってないのか」

「ん? ああ」

「どうして」

「何でて。別に」

「・・・・」

「なあ後ろに移らへん? 缶珈琲、買っといたんや。ぬくいやつ」













 何か言いたそうなのに、言葉に出さない新一。

 平次はそれを解って視線を後部座席に流した。



 最近の車は、後ろの方の窓ガラスが少し暗くなっていて外からは覗けない。















 ・・・・だから、誘った。
































ひとくぎり

























「今日の試合、見れたんか」

「ああ、なんとかな。いい雰囲気で終われて終ったよ」

「負けて本選行くのとちゃうもんな」

「お前も見てたのか?」













 後部座席。

 2人で一枚の毛布に包まり、今日の夜に行われていたサッカー親善試合について話す。



 案の定、新一の食いつきは良い。













「おお。工藤、騒いどるやろなあ思てな」

「服部は中山さん好きなんだよな」

「後半の加入からはめっちゃ興奮したで~」

「やっぱ?」













 手の中で珈琲を転がしながら、新一は窓の外を見た。







 もう直ぐ始まるワールドカップ。

 本当に、もうすぐこの日本で開催されるなんて夢みたいだ。



 そう、その瞳は語っている。













「工藤は見に行くんやろ?」

「当然。全部ナマで見る」

「プラチナチケットやで? ラッキーやな~ ジブン」

「当たり前だ。何の為に今まで出たくもねえの我慢してテレビ出てると思ってんだ」

「ま、楽しんで来いや。俺は桜子と部屋で応援しとるわ」

「・・・・何言ってんだ?」













 新一が急に声色を変えて睨んできた。

 平次は少したじろぐ。











「な、何て・・・」

「ひとりで行ったってつまんねえだろ。お前も行くんだよ」

「へ?」

「――――・・・・桜子は誰かに預かっててもらえよな」

「え・・・せ、せやかて工藤、またゲスト解説とかで見るんやないんか?」

「馬鹿かお前は? そんなんで見てたらロクに騒げねえだろうが!」













 突然の馬鹿呼ばわり。

 そして予想のしてなかった展開に、暫く平次は言葉が出ない。













「俺はな、日本戦のチケット確保を前提に今までこの仕事してきたんだよ。関係者席の、思いっきり見晴らしの良いトコ各2枚確保してもらう為にな」

「お・・・・俺が一緒に行ってええの? もっと行きたいやつ、居るやろ?」

「そんなの知るか。俺がお前と観たいんだ」

「・・・・・」

「っつー訳で、4日・9日・14日空けとけよ。他の用事入れやがったら許さねえからな」













 ニッコリと微笑うその顔は、いつもの『工藤新一』。

 平次は満面の笑みを浮かべると、至近距離の口唇を塞いだ。













「!」

「・・・・乾いとる。せっかく買うて来たんやから、それ飲んで」

















 でもすぐに離される温もり。

 新一は目を伏せると、平次の肩口に額を当てた。

















「? どないした」

「お前から桜子のニオイしないのなんて、久しぶりだ・・・・・・」

「そーか?」

「もう慣れたけどさ。でもやっぱ嬉しい」

「・・・・工藤」



















 昨日一晩、工藤邸に泊まった平次。

 その身体から薫るのは自分と同じシャンプーと石鹸の香り。



 このシャツだって新一のものだ。



















 ・・・・ここ2日、桜子は東京の親戚の家に来ている平次の母親の元にいる。

















 具合が悪いとか。

 そんなんじゃないのに、どうして服部は桜子を預けて俺の家に来たんだろう?



















 ――――――・・・・まさか。





















「俺、お前に心配掛けてた?」

「・・・・今頃気いついたんかい」

「悪い。でも、お前が気にしててくれて助かってるよ。自分じゃ解んねえから」

「解んないですますな、ボケ」













 身体を起こし、新一は手の中の缶を開けた。

 もう人肌になっているそれは、口を付けるとゆっくりと喉を通ってゆく・・・・











「なんだこれ、甘過ぎじゃねえか・・・・」

「疲れとるんやろ。甘いやつがええんや」

「そんなのお前のキスだけで充分」

「・・・それもそうやな」













 倒さないように。

 飲みかけの缶を、ホルダーに。











 ・・・・・・・そうして両手が開いたのを合図に、2人は近づく。





















 繰り返されるのは口付け。





 甘く長く深く。

 吐息とともに、薄暗い車内に。



















 ・・・・・やがてそのまま毛布に包まり、肩を並べて眠りに付いた。
































ひとくぎり



























 ほんの2時間程寝ただろうか。

 窓から差し込む朝日に、2人は目を覚ました。



 現在、午前4時半過ぎ。























 ・・・・目の前の海から昇る太陽が見え、彼らは車の外に出た。

























「うわ。すげえ綺麗・・・・」

「気持ちええな」

「・・・・久しぶりだ。朝日見んのなんて」

「せやろ?」





















 だから無理矢理にでも連れてきた。















 海は、風は、空気は気持ちを洗ってくれる。

 どんなに嫌な事があっても、この広大な自然を前にすれば何故か気が落ち着く。

















 ・・・・疲れも取れる。























「お前ってホントすげえな」

「へ?」

「なんつーか。この調子でこれからも頼むな」





















 そして、明け始めた空を見ながら新一は呟く。

 考える。























 お前がいるから。



 だから俺は、俺でいられるのかもしれない。





























 ――――――・・・・・不思議な奴だよ、ホントにさ。





























 今日は暑くなりそうな気配。

 日差しも、強くなりそうだ。





















 ・・・・・海沿いを走って帰るのも悪くないな。



 まあ、運転は服部だけど。





















 桜子の居ない時間は有効に使わなければ。

 帰ったら、またこいつを独占させられるのだから。



 だから今のうち。



























 ――――――――――・・・・思いきり俺の『ニオイ』を付けさせてもらうとするよ。

































「工藤?」

「さーて。もう一眠りすっかな」

「ええ?」

「じゃ、朝飯食えるトコまで連れてってくれよな。ヨロシク」














 そう言うと新一は車に戻り助手席に乗り込む。

 そして後ろから毛布を取り包まると、すぐに眠りについた。



























 ・・・・溜息をつく平次。

 でもそれは、どこか嬉しそうで。

























 一時間程自分も眠ると・・・・・隣で吐息を立てる新一を起こさないよう、ゆっくりと車を走らせた。




































Fin