・・・・・春の訪れを告げる『桜』。



















 それは、2人に深く関わる――――――――――――――・・・・狂おしい想いの象徴。














桜思想[04]






『なあ平次。今度の休みに東京行かへん?』

「・・・・へ?」

『確か稽古は休みやろ? アタシ、蘭ちゃんに会いに行く言うてあんねん』















 3月の半ば。

 夕方にかかってきた幼馴染からの電話に、彼はつい素っ頓狂な声を出した。



 













「何で俺が一緒に行かなアカンのや」

『ええ~ 平次だって工藤君に会いたいやろ?』

「・・・俺は別に」

『うちのオトン、一人で行くん許してくれへんねん。な?』















 平次と呼ばれたのは服部平次と言って、警察関係者ならば知らない人は居ない有名人だ。

 父親を大阪府警本部長に持つ彼は、小さい頃から嗜んでいる剣道でも才能を発揮し、全国大会でもその名を馳せている。



 電話を掛けてきている幼馴染は遠山和葉という平次と同じ年の女の子。

 こっちも父親が府警関係者で、刑事部長という肩書きを持っていた。















 窓際の壁に寄りかかり、雑誌をぺらぺらと捲っていた平次。

 『工藤』という名前にその手の動きを止める。



















「―――――・・・・・しゃーないな」

『土曜の午後やで? 忘れんといてな』

「土曜?」

『夜桜見物すんねん。せやから泊まりになるし、平次ちゃんとオバちゃんに言うといてな』























 それだけ言うと、和葉は電話を切ってしまった。

 平次はゆっくりと受話器を置く。











 ・・・・でもその手は微かに震えていた。

































 ―――――――――――――・・・・・工藤・・・・・・・・

































 どくん。

 

 心臓が騒ぎ出し、平次は胸を押さえる。



























 ・・・・どくん、どくん。























 そしてそれは段々早くなる・・・・・





























『ええ~ 平次だって工藤君に会いたいやろ?』

『・・・俺は別に』



















 本当は『会いたい』なんてもんじゃなかった。

 1日だって、片時だって忘れたことなんて無かった。









 ・・・・・もうすぐあれから1年。


 暖かな日差しが続く今年は、予想外に早く桜の見頃を迎えている。























 前に逢ったのは去年の夏。

 熱い暑い、真夏の夜の夢。











 あれから結局―――――――――・・・・・・・忙しい事を理由に逢うのを避けていた。



























 平次は恐かった。

 これ以上、この気持ちが膨らむのが恐かった。



 だから逢わずに過ごして風化させようと思った。





 でも。





























 ・・・・・・それは逆効果でしかなかった。

























 たまにテレビや雑誌で見かける彼は、その度に綺麗になっている気がした。

 男相手にそんな形容詞はどうかと思うが、自分にはそう見えるのだから仕方がない。

 

 工藤新一は元女優だった母親の血を多く受け継ぎ、その方面からのスカウトも実際多いと聞く。

 でも、本人は芸能関係には全く興味がなかった。



 あの容姿が人目に晒されれば、その効果で更に綺麗になるのは必至だろう。

 だから平次は、新一がその方面に興味がないことに少し安心していた。











 でも、その時だった。 





































「――――――・・・・・・あれ」



























 ・・・・・・付けていたテレビの中の人物に、目を奪われたのは。








































ひとくぎり

























「蘭ちゃん久しぶりやね~ 元気そうで安心したわ!」 

「和葉ちゃんこそ、相変わらずじゃない」

「あれ? 工藤君は居てないの?」

「ちょっと遅れるって。打ち合わせ延びてるみたい」

「ひっぱりだこやね。元々サッカー好きなんやって? 凄い嬉しそうにやっとし♪ な? 平次」

「せやな。それより和葉、自分の荷物くらい自分で持てっちゅーねん」















 東京駅。

 いつもの待ち合わせ場所で、再会を喜ぶ彼女達。



 平次は和葉のボストンバックを抱え、抑揚のない声で会話に加わる。















「服部君も久しぶりだね」

「ねーちゃんも元気そうで良かったわ」

「ごめんね。新一、夕方には来れるって言ってたから」

「別にねーちゃんが謝る事やないて。んで? まずどないするん?」











 何となく新一の話題から話を逸らしたかった。

 でも、彼女達はそんな平次の気持ちなんて知らずに続ける。











「報道番組以外に出んのって、初めてやろ?」

「うん。ワールドカップも近いし、サッカー番組に関してだけ出演OKしてるみたい」

「それにしてもアタシびっくりしたで? テレビであんなカオしとるんやもん。ファン増えるで~? 蘭ちゃん、気いつけな!」 

「・・・・・でも、新一楽しそうだし」
















 毛利蘭。

 新一の幼馴染で、彼女と言われている『工藤新一』に一番身近な人間。



 少し淋しそうな顔をして微笑む姿が、平次の脳裏に焼き付く。













「平気やって。工藤の奴、いつだってねーちゃんの事しか頭にないやろ」

「――――・・・・・だと良いけど」

「ま。今はサッカーの事でアタマいっぱいなのは許したってくれん? なんせ4年に1度のお祭りや。工藤、今ホンマ楽しいんや。だからって、ねーちゃんの事忘れとる訳やないんやで?」

「なんやの平次、ズイブン優しいやん・・・・」

「当たり前や。俺はオンナには優しいで~? 知らんかったんか?」

「アタシは女ちゃう言うの!?」













 そんな2人のやり取り。

 蘭は、くすくす笑う。



 その笑顔はやっぱりいつもの彼女だったけど。

 前に会った時よりも遥かに女性らしく成長している姿に、平次は目を細めずにはいられなかった。



















  ・・・・それは一体、誰のためだろう。



























 人を想う気持ちは、人をより一層綺麗に変える。





 それは性別など関係なく。

 苦しい焦燥が、その人を包む空気ごと変えてゆくものだ。























 ・・・・・・工藤、せやからあないに綺麗に微笑うんやろか。





























 思い出す、数日前の番組。



 今までは頑なに表情を崩さなかった彼が見せていた、極上の笑顔。

























 ・・・・そして3人は人込みの中を歩いていく。



 少し蒸した空気が気温が高いことを知らせている。

 東都環状線の内回りホームに上ると、吹き込んでくる温い風に平次は小さく息を付いた。




























ひとくぎり





























「工藤君、これから予定ある?」

「ええ。友達と花見に行くんですよ」

「じゃあ明日は大丈夫かな」

「・・・・何かあるんですか?」

「ヴェルディの滝沢さんがね。工藤君に会ってみたいって言ってるんだ」

「え・・・・滝沢選手がですか?」











 その頃。

 特別番組の収録が終わり、同じ局の生放送の打ち合わせも終わった時。



 そこのスタッフが新一に話し掛けてきた。











「工藤君が前にサッカーやってた事知っててさ。是非会ってみたいって」

「すみません、明日も駄目なんですよ」

「え?」

「その友達、わざわざ大阪から出てくるんで・・・・」

「あ、そうなんだ。いや、工藤君が会ってみたいって言ってたからさ。明日なら時間が取れるって聞いたから」

「本当に申し訳ありません。俺も是非お会いしたかったんですけど」











 そう語る新一は本当に残念そうで。

 出されていた珈琲を飲み干すと、立ち上がり軽く会釈をしてその部屋を出ていった。





















 廊下。

 その前面硝子張りの窓から、眩しい光が射しこんでいる。









 ・・・・静かにときめきが生まれ始める。

















 確かに滝沢選手と直に会ってみたいと思ってた。

 でも、新一は平次との再会の方が最重要事項。





























 もうすぐ逢える。

























 ・・・・服部。





 お前に、逢える―――――――・・・・・・






















 新一はそっと自分の頬に触ってみた。







 熱い。

 それに、少し震えてる。




















 ・・・・・・・だってどれくらい逢ってない?
























 電話はたまにしてたけど。

 メールも、たまにしてたけど。

















 『逢う』のは去年の夏以来だ―――――――――・・・・






















 今は何時だ?

 16時。







 もう、あいつは東京に着いた頃だ。




















 ・・・・・・・髪は伸びてるかな。



 顔つきは、変わっただろうか。





















 とにかく逢いたかった。

 逢えるとわかった時から、気持ちは膨らむばかりで止まらなかった。
















 工藤、元気か?

 今度の土日そっち行くことに

 なったの聞いてる思うけど、

 宜しく頼むわ。

















 ただそれだけのメールが携帯に届いた時、身体がとても熱くなった。

 自分の部屋だったから良かったものの、もし人目がある場所だったら絶対に変に思われたに違いない。
















 ・・・・だって、その場に座り込んでしまったのだ。







 あまりにも嬉しくて―――――――――・・・・・・・不覚にも立っていられなくなってしまったのだ。





































 ・・・・解ってる。



 あいつの隣には、きっとまた彼女が居る。










 『ほら、今年は東京の開花早いじゃない? 春休みで丁度良いから、和葉ちゃんがこっちの桜見たいって。服部君も連れてくるって言ってるから、新一もちゃんと予定空けてよ?』












 そう、蘭が言っていたから。






















 でもそれでも良かった。

 どんな理由であれ、逢えるのはやっぱり嬉しいから。







 東京と大阪は『ちょっと会わないか?』と言って会いに行く距離では無かった。

 何より、新一は特に理由もなしに『逢いに行く』という行動が取れる性格でもないのだ。




















「うわ。風強いなあ――――――・・・・・桜、散らなきゃいいけど」


















 外に出ると、通りを埋める桜の樹が揺れていた。










 東京は昨日から風が強い。



 温かくなって来たとはいえ今日は少し北風らしく冷さが肌に刺さる。

 新一は乱れる髪の毛を押さえながら、駅までの道のりを急ぎ足で進んで行った。































ひとくぎり


























「も~ 何やのこの風!」

「今日は止めた方がええんちゃうか・・・・・」

「でも、夜になったら止むって言ってたし」











 桜が綺麗な場所として有名な、千鳥ヶ淵緑道。

 そこに3人は来たのだが、とにかく風が強く、桜の花見を楽しむどころでは無かった。





 その時、蘭の携帯が鳴った。

 画面表示の名前は新一だったからすぐに表情が明るくなる。










「新一? 終わったんだ」

『ああ。で、今どこだ?』

「あたし達も今ちょうど着いたとこ。服部君と和葉ちゃんも一緒だから、早くね」

『・・・・今駅降りたからすぐ行くよ』

「うん。じゃあね」













 携帯をバックにしまうと、横から和葉が覗き込んでいた。

 蘭はちょっと驚く。













「か、和葉ちゃんっ」

「今の工藤君やろ? へ~ 着いたんやね」

「な・・・・何よその顔・・・・」

「べつにい~? ホンマ可愛ええ顔すんねんなあ、工藤君が絡むと蘭ちゃんてば~」










 本当に嬉しそうな様子が分かる。

 それを間近で見ていた平次は、複雑な表情をするしかなかった。


















 素直に喜んだり。

 淋しがったり。











 ・・・・それは、男女間にだけ許される特権だ。


















「工藤、今何処やて?」

「もう来るって。駅着いたとこだから」

「じゃあ直ぐやね」

「――――――――・・・・・けど、俺らどこらへん歩いとるのか解るんか?」

「あ、そっか。あたし入り口の所まで行ってくるから、2人ともここで待ってて!」











 千鳥ヶ淵のお濠沿いに続いている緑道は、春になると染井吉野、山桜、八重桜など200本以上が咲き誇る日本でも有名な花見所だ。 

 昼間はボートに乗って岸沿いの桜並木を一望出来る。



 風が強いとはいえ、天気は良好でそれなりに見物客も多かった。

















「なあ平次。平次はどんな桜が好きなん?」

「・・・・どんなて」















 蘭の背中を見送りつつ、和葉が問い掛ける。

















「だってよう庭の樹、見とるやん」

「へ・・・」

「アタシはやっぱ、あれやな、白妙。なんかこう、桜! って気いするやんか」

「別に好きとかないで。まあ咲いたら綺麗やし見とるだけや」

「そうなん?」



























 ・・・・そう。



 好きなのは、それで想い出す『人』の方だ。







 大阪の自分の家にある桜では無く、この東京のあの庭にある――――――――・・・・・
雨情枝垂(ウジョウシダレ)という桜の横に立っていた人物。













「せやな・・・・・・まあ、強いて言うなら枝垂桜系やな」

「へー。意外やわ」

「そおか?」















 たった1本の樹だったけど。



 ・・・・あれを雲一つない真夜中に見た時、何故か鳥肌が立った。

















 地上に向かって咲く花びら。

 それは詩人の野口雨情の住んでいた宇都宮市の邸内にある桜で、雨情を記念して名付けられたと聞く。



 大きな花を咲かせるそれは、でも大木にはならないらしく。

 手を伸ばせば、その薄紅色の花びらに届いた。
















 ・・・・覆い被さるように、包むように。





 枝の間から見え隠れする、月と共に。




















 それはそばに立っていた工藤新一を、幻想的に艶やかに演出していたのだ・・・・・



























「あ、来た来た」

「お待たせ~」

「うっわー 工藤君、どないしたん?」

「来る途中の並木道でも風強かったからさ、もうタイヘン」













 すぐに蘭は戻ってきた。

 勿論、新一を連れて。













 そしてその新一は―――――――・・・・・・


























 ・・・・・・・・・・髪に何枚もの花びらをくっ付けた姿で現れた。


































ひとくぎり



































「久しぶり」








 相変わらず整った風貌。

 それは髪が乱れても、それすらを武器に変えて。



 長めの前髪を掻き分け新一が短く再会の挨拶をする。















 ・・・・平次は何故か突っ立ったまま。

















「ちょお平次? なに呆けとるん」

「え、あ、いや・・・・スゴイ格好やな思て」

「でしょー? あたしも被っちゃったもん。風強いよね~」

「蘭。髪の毛に挟まってるぞ、ちょっとじっとしてろ」

「ほんと?」








 蘭の髪の毛に絡まっている花びら。

 それを、新一はひとつふたつと取ってゆく。



 何気ないそのやり取りに和葉はちょっと羨ましそうな顔をした。










「・・・・暫くどこかで時間潰した方がいいんじゃないのか? どうせ、目当ては夜だろ」

「それもそーなのよね。あ、そうだ・・・・・ねえ和葉ちゃん」

「なに?」

「来る途中にあった新しいビルにね、好きって言ってたブランドが入ったんだけど行ってみない?」

「ホンマに? 行く行く!」













 その会話に、また女の買い物に付き合わされるのを確信した彼ら。

 しかし。











「あたし和葉ちゃんと2人で行ってくるから。どーせ『またか~』とか思ってたんでしょ?」

「お、思ってねえよ」

「女は女同士で楽しんでくるから、男は男同士、大好きな事件の話でも思いっきりしててよね。じゃ、後で電話するから」

「ほんなら平次、荷物運んどいてな♪」

「ちょ、お前、これ俺に持たせたまんまか??」















 言うだけ言うと、彼女達はあっという間に見えなくなってしまった。








 ・・・・・そして残されたのは、呆然とする男2人。





























ひとくぎり































「元気、そうやな」

「・・・お前もな」














 取り合えず2人はベンチに座った。





 端と端。

 なんとなく、距離を置いて。












「見たで? 最近、ずいぶんテレビに出とるやん」

「へえ。サッカーに興味ないお前でも、見てくれてるんだ」

「そら知っとる奴が出とるんやから当然やろ」










 『知っとる奴』

 その言葉に、新一は少し反応した。







 そして視線を水辺に浮かんでいるボートに向ける・・・・・




















「――――――――――・・・・そうだよな」






















 平次はその横顔から目が離せない。














 ・・・・・・夕暮れにさしかかった日の光が、形の良い頬を照らしている。



 透けて金色に近い髪の毛が揺れて――――――――・・・・淋しそうな瞳が見えた。






















「嫌な事でもあったんか?」

「・・・・何で?ねえよ」

「せやかて―――――――・・・・・・」

「なあ、服部」

「ん?」

「ボート、乗らねえか?」

























 その時。

 新一は初めて、平次と目を合わせた。

























 水面が反射していた。

 もう直ぐ沈んでしまう太陽を、映して。







 ・・・・・桜の花びらが敷き詰められ、それはまるで絨毯の様で。



 だから。






















 あそこに行ってみたい。



 何故か、新一は思った。






























ひとくぎり
























 流石に男同士でのボート乗りは目立つ。

 しかも新一も平次も、それなりに有名人。



 でも、当の新一はそんな事は気にも止めていない様だった。




















「・・・・・・・すっげー綺麗だな、桜」


















 本当に桜に見惚れているのか。

 それとも、何かから気を紛らわしているのか。





 ・・・・・やっぱりその視線は何処か虚ろで『桜』の実体は見ていない。






















 綺麗なのは、お前や。

 そう心の中で言う事しか出来ない平次は、漕ぐ手をゆっくり動かしながらその桜に近づいて行く。















 風はまだ強く。

 揺れるボートを上手く操りながら、平次は樹の下に入った。














 ・・・・・瞬間、凪ぐ。





























「へえ・・・・桜がガードしてくれてんだな」

「ああ、しかし絶景やな。まるで別世界に来とるみたいや」





























 そこは本当に不思議な空間だった。














 無風状態。

 漂う、桜色の薫り。










 ・・・・そして、その枝の間から零れる夕暮れの暖かな日差し。


































 その視界の真ん中に、工藤新一・・・・・・・


































 どうしてこんな人間が居るんだろう?


 どうして、こんなに自分を惑わすんだろう?










 男なのに。





 どんなに綺麗でも、男でしかないのに。
























 ・・・・・どうして、俺はこいつに出逢ってしまったんだろう。


































「服部、どうかしたか?」

「・・・何もあらへん」

「疲れたのか? じゃ、次俺が漕ぐからそれ貸せよ」

「ええって・・・・」

「―――――――・・・・じゃあ何でそんな顔してんだよ。そりゃ、一緒なのが和葉ちゃんじゃなくて不満かもしれねーけど」

「!」






















 『和葉』。

 その言葉が出てきた途端、平次は訳も解らず怒りが込み上げた。






 ・・・・どうしてか口唇が震える。


























「―――――――・・・・どーしてそこで和葉が出てくんねん」

「え? だってお前」

「アイツは関係ないて言うとるやろ!? 俺と和葉は単なる腐れ縁やて何べん言うたら解んねん!」

「な、何大声出してんだよ、周りに聞こえるだろ?」




















 新一が不思議そうな顔をしていた。








 そりゃそうだろう。

 こんなやり取りは、今まで散々して来た事だ。


















 ・・・・・・・でも、今の平次は新一の口からそれを聞くことが苦痛だった。



































 こんな絶好の機会で。



 好きな相手が、同じボートに乗ってて。












 ・・・・・・周りから姿が見えなくなっていて、どこにも逃げ場なんかない状態で手を出せないなんて。


 こんな自分は、今だかつて経験した事などなかったのに。




























「――――――――・・・・せやな、スマン」

「やっぱ疲れてんじゃねえの? いいから、それ寄越せって」

「ええ言うとるのに!」

「何遠慮してんだよ。気味悪い」

「俺んこと気遣う工藤の方が気味悪いっちゅーねん!」


























 暫しの、沈黙。

 そして微かな笑い。









 ・・・・今までの重苦しい空気が少し和らぐ。



























「ったくよー お前が神妙な顔すっから」

「あのなあ。俺かて人並みに悩みくらいあんねんで?」

「へえ~ 恋の悩みってか?」

「・・・・・そーや」

「え?」




















 今度はさっきと違う沈黙。

 新一の、表情が固まる。







 ・・・・・・・・平次はその時桜に目を移していて気付かなかった。
























 新一がその時どんな顔をしてるのか、気付けなかった。


































ひとくぎり
































 それは夕暮れ。






 ・・・・・・春の訪れを告げる桜が咲き乱れる、暖かな夕暮れ。
























「そっか・・・・お前、好きな奴いるんだ」

「・・・ああ」

「和葉ちゃんじゃなくてか?」

「――――――――・・・・・・せや。和葉やなくて別の奴や」

「ふーん・・・・・」

「結構暗くなって来たな。ええ加減あいつらも戻ってくるやろし、帰ろか」



















 時間はもう6時を迎えようとしていた。

 枝垂れから覗く緑道には、照明が点き始めている。






























「・・・・・・・・嫌だ」

「へ?」






















 そのとき小さな声が響く。

 平次はそれが新一から発せられたと気付くのに、少し時間が掛かった。




















「まだ電話も掛かってこないんだし、時間だって残ってるだろ?」

「・・・・そうやけど」

「じゃあいいじゃねーか。もう少しここにいたって」

「・・・・・・」



























 何故なら。






 ・・・・・新一のそんな消え入りそうな声は聞いた事がなかったし。



 それに何より・・・・


























 あんな表情で自分を見る新一が、信じられなかったからだ――――――――・・・・・