平次は鏡を見るのが好きだ。





















 ・・・・・・・・・・・・自分ではなく、鏡の中のとある人物を見るのが。












FAITH[02] 鏡の中の真実



「服部。これ、新しい歯磨き粉」

「ん?」

「朝切れたから買って来たんだ。洗面台の所、入れといて」











 寒さも本格化してきた12月。

 土日にかけて東京に来ていた平次に、新一が小さな紙袋を渡した。

















 17時、工藤邸。





 ・・・・・・・・外は冷たい雨が降っている。



















「了~解」

「今日はどっちで帰るんだ?」

「たまには新幹線で帰ろ思て」

「じゃ、東京駅まで送ってやるよ。定期あるし」

「そらあんがとさん」











 受け取った袋からそれを取り出し、平次は洗面所へ向かった。

 三面鏡の真ん中を開けて指定の場所へしまう。



 そして、薄暗い場所で鏡の自分を見る。

 『前髪そろそろ、うっとーしいなあ』なんて思いながら・・・・・・・・

















 ・・・・・その鏡の隅に映る新一に目を留めた。































 平次は知っている。













 この三面鏡の右側。

 鏡の角度で、キッチンを視界に入れられる事を。





















 ・・・・・その場所にいる新一が見られる事を。

























 自然と顔がゆるむ。

 それは視界に映っている彼が、やわらかに微笑っているからだ。





 珈琲フィルターに注がれるお湯をじっと見つめ。

 前髪を、その蒸気にふわふわ揺らしている。

























 ――――――――・・・・・そんな表情、もう半年以上・・・・・目の前で見ていない。































「工藤・・・・・」















 新一は、ある時を境に平次の前で笑顔を見せなくなった。































 表情が崩れ。

 感情を剥き出しにした、あの時。

















 ・・・・・・・・『友達』ではなくなった、あの日から。































 始まりは半年前。

 もうすぐ夏だと言うのに、冷たい雨の夜。



 山奥で起きた事件の夜。











 その時、鏡向こうの新一が熱湯を右手に少しかけてしまったようで突然びくりと跳ねた。

 平次に見られてやしないかと、慌ててキョロキョロ見回す。















 その姿が、やけに・・・・・・・・・































 まったく。

 同じ『男』に『可愛い』と思う日が来ようとは。





 自覚した時、これは結構なショックだった。

















 行動に移した自分にも驚いたが。

 半ば無理やりだったあの行為を新一が受け入れてくれた時も、戸惑った。























 でも嬉しかった。







 罵るでもなく嘲るでもなく。

 受け止めてくれた事が、本当に。









 ・・・・・ただ。





















 平次がずっと不安に思っている事。



 それは・・・・・・・





















 身体を許してはくれたけど。







 ・・・・・・・未だに新一の口から、好きだとも嫌いだとも告げられていない事だった。





























 肌に触れている最中の吐息や。

 こうした時の彼の仕草を見ていたら、都合の良いように考えてしまう。



















 ―――――――――――――――・・・・・・俺んこと、嫌いやないよな?























 いくら口づけをしても。

 どんなに、身体が反応しても。





 ・・・・・その温もりだけで相手の気持ちは、決して計れないのを知っている。





























 好きで。好きで。

 好きだけど。











 本当は自分を傷つけたくなくて、仕方なく受け入れてくれただけだったとしたら・・・







 そう考えると怖くてたまらない。だから。





















 ・・・・・・・平次はそれからずっと、新一に聞けないままだった。



























「服部何してんだ? 珈琲、冷めちまうぞ」

「!」











 その時、鏡の中にいた筈の新一が消えて背後から声がした。

 平次は慌てて閉じる。









「・・・・・どうした」

「あ、ああスマン。今行くて」

「それだけの用事に何分かかってんだよ。さっさと自分の運べ」











 見ると新一はすっかりいつもの表情。

 更に鋭く睨むと、『ほらよ』と平次にカップを渡した。


































ひとくぎり































 東京駅。

 人々が忙しなく行き交う、新幹線改札前。













「何時の?」

「21時18分。のぞみ95号」

「あと10分くらいか・・・・・」









 あの後二人は他愛もない会話をした後、外で食事をとった。

 平次は家で過ごしたかったが、『メシの材料、何にもねえぞ』と新一が言ったからだ。







 だから東京駅に来て。

 新しく出来た丸ビルを、ふらふらと探索して。



 でも日曜とあって人混みも最高潮。

 時間もないことだし、食事するのは諦め残りの30分くらいをスターバックスで過ごした。











「次、いつ逢えるやろな」

「さあな」

「ツレナイな。寂しいとか言うてくれへんの?」

「雨もまだやまねえし寒いし、早く帰って風呂入って寝てえんだよ俺は」

「・・・・・そらタイヘン。風邪には気い付けんと」











 やっぱり素っ気ない新一。

 それでも、平次は微笑う。





















 嫌ならば、寒い思いをして自分をここまで送ってはこない。

 わざわざ日曜の、混雑の激しい丸ビルの中で。

















 ・・・・・・こうして自分と珈琲を飲まない。

























「どうした?」

「いや。そろそろ行くわ」

「そうか」

「工藤も今度は大阪来いや?」

「時間、出来たらな」











 じっと見ているのに気付かれたらしい。

 上目遣いに聞いてくる表情に、少し焦る。







 ・・・・新一は軽く目を伏せた。

















「なあ工藤」

「ん?」

「いや――――――――――・・・・またな」













 手を振り二人は別れる。

 そして平次は改札を通り、一度振り返った。





 既に新一は後ろ姿。

 やっぱりなあと息を付き、右手にあった弁当売り場に寄る。



 何か飲み物と、つまみでも・・・・・・・・

 そう思い商品を覗き込もうとして、すぐ近くの鏡張りになっている柱に目を見開いた。















 そこに、映っていたのは―――――――――――――――・・・・・





























「・・・・工藤・・・・・・・?」























 それはとても小さかったし。



 少し湾曲していて、普通なら顔なんて見分け付かないはずなのに。





















 ・・・・・・平次にはそれが新一だと解った。



























 さっきは背中だった。

 もう、とっくに行ってしまったと思ってた。





 遠くの大きな丸い柱。

 その影。























 そこにいるのは・・・・・・・・・・・確かに新一。





























 ―――――――――・・・・・なんちゅー事してくれんねん工藤・・・・・・・帰り際に反則やで?





























 何で、その気持ちを。





 俺の目の前で――――――――――・・・・・素直に表してくれへんねん。

























 ずきりと激しい衝動が胸を打つ。

 たまらなく甘い想いが、身体中から溢れ出そうだ。













 ・・・・・・・・高鳴りが止まらない。































 でも顔を上げる訳にはいかない。





 目が合ったら、彼は逃げるだろう。

 だから気付かないフリをしなくてはならない。

















 ・・・・・・・平次は呼吸を整える。























 気を取り直し適当にお茶とつまみを買う。

 そうして一度も改札の方を向かず、ホームへの階段を上って行った。
































ひとくぎり

































「・・・・・・・行っちまった」













 遠い影が視界から消えたのを確認すると、新一は息を付いた。

 ゆっくり柱に寄りかかる。

























 ―――――――――――――――・・・・・今日も言えなかった。

























 あの出来事から半年。

 未だにこの状況が信じられない新一は、素直に感情を表に出すことが出来ずにいた。



























「服部――――――――――・・・・・・」













 決して男が好きな訳では無かった。

 出会った時も、他に好きな人がいた。









 その頃からおせっかいな服部。

 やたらと人に構う服部。



















 ・・・・・・・そして必要以上に心配性だった服部。
























 夜明けの河原で会った日も。













 あいつの買い物に付き合った帰りの電車の中。

 目眩に襲われた俺を、酷く心配してくれた―――――――――――――・・・





























 ・・・・・・・・気付いたのはその時。





























「っくしゅ! ・・・・・やべ。マジで風邪かな」











 新一は柱から離れ来た道を戻る。

 寒さに震えながら襟を立て内回り線ホームに上ると、ポケットの携帯電話が鳴った。



 『主よ、人の望みの喜びよ』

 これは冬の季節に設定する事に決めているメロディだ。









 表示名は、服部平次。

























「・・・・・おう」

『お。出るとは思わんかったで』

「今から電車に乗るんだよ。どうした」











 遠くからの光。

 電車が、ホームに入って来る。





 ・・・・・段々と激しい音が近付いて来た。



















『鏡は嘘、付かへんよな』

「え? ちょっと良く聞こえねえ・・・・・・・・あ、もう乗るから後でメールしてくれ。じゃあな」

『ちょ、おえ工藤――――』













 言葉の途中だったが新一は有無を言わさず会話を切った。







 扉が開く。

 どきどきする鼓動を感じながら乗り込み、深く息を付いた。

























 ・・・・・・・・・・解ってない。





 俺が、どんなにお前の前で自分を抑えているか。

































 ――――――――――・・・最初があんな状況だったから、俺は・・・・・・





























「・・・さてと」












 車内を見渡す。

 運良くそばの席が空いていたから、腰を下ろした。





 米花駅までの十数分。

 新一は右側に寄りかかり、俯いて顔を隠す。























 ・・・・・・・・暫くするとマナーモードにしていた携帯が振動した。



























 それはメールの着信。

 送れと言ったから、平次が送信してきたもの。



 しかし、その内容に新一は眉根を寄せた。



















 米花駅。

 南口改札前キオスク左側の

 自販機の前



 ・・・・・END・・・・・
























 ただそれだけの文字列。

 新一は、暫く見て考える。



 だが。





















 ・・・・・・・・・意味解んねえよ。





















 普通にとれば、ここで待ってろの意味。

 でも・・・・・・あいつはとっくに新幹線の中――――――――――・・・



























 ・・・・・・でも、まさか。























 新一の身体が大きく波打つ。

 寒いはずの車内で、一気に体温が上がるのが解った。























 ・・・・・そんな訳ない。



 あるはずが、ない。























 携帯を持つ手が震え、それでもやっぱり違うはずだと固く目を閉じた。















 余計な期待はするな。

 どうせ俺がこの後、帰りにその場所へ行った頃にまた携帯が鳴って・・・・



 『何か期待したやろ?』なんて笑いながら言ってくるに違いない。































 ・・・・・期待するに決まってるのに。







 お前の一挙一動が、どんなに俺を―――――――――――――――・・・・・























 やがてアナウンスが米花駅を告げる。

 電車が止まり、新一は静かに外へ出た。



 まだ降り続いている雨。

 それに目を細め、改札口へと渡る階段を上って行った。






























ひとくぎり



























 改札を通り新一は夜空を見上げる。

 ぱらぱらと落ちてゆく雨は強くもなく弱くもなく、けれど人々を震えさすには十分な寒さを伴っていた。

















「キオスク左側の・・・・・自販機」











 既にそのキオスクは閉まっていて。

 横の自販機の明かりだけが、こうこうと暗闇に目立っていた。























 ――――――――――・・・・いるはずねえよな。

















 新一はその前に立ち止まり、暖かい缶珈琲を買う。

 小さく息を付き、手のひらを包む暖かなぬくもりに目を細めた。

















 ・・・・・ふと。



 その横に設置されている鏡に気付く。





















 それは缶専用のゴミ箱に付けられてある物。

 朝などに、よく女子高生たちが自分のメイクをチェックしていたりする鏡だった。









 今映っているのは青白い自分。



















 ―――――――――――――――・・・・・情けねえツラしてやがんな、俺。





















 酷く不安で。

 相手の気持ちが信じられなくて。



 自分の気持ちさえコントロール出来ず、持て余しているのが表情に出ている。
















 いつも容疑者を観察し割り出しているように、新一は自分で自分を分析する。

 そうしてまた、深く息を付いた。



















 ・・・・・・・お前、そんなに服部が好きか?



























 その目から、表情から。

 客観的に見ても解るくらい気持ちが溢れてる。











 鏡の『自分』に向かって問いかける言葉が、そのまま自分の胸に突き刺さる。

























「馬鹿らし・・・・・・帰ろ」











 缶も開けずに抱えたまま新一はくるりと身体を返す。

 ショルダーを直しながら、横断歩道の信号が青になるのを待った。



 そして足を一歩踏み出した時だった。

 携帯が、またメロディを奏でたのだ。















「!」









 それは再び服部平次。

 一瞬にして跳ね上がる自分を意識しながら、深呼吸して新一はボタンを押した。













「・・・・何だ」

『メール見たやろ? なあ、期待したか?』

「するか」

『そら残念』

「あのなあ――――――――・・・・・ついさっき別れたばっかじゃねえか。そんなに俺が恋しいか」

『当然。工藤が知らないオニーサンに付いてったりせえへんか、ごっつ心配や』

「切るぞ?」













 相変わらずの口調。

 変わらない、服部。













 ・・・・・・・・所構わず、いつでもこうして俺への想いを口に出す。





















 吹くのは冷たい風。

 買ったばかりの缶珈琲が、やけに熱く感じられる気温。



 でも。















 今こんなに身体が熱いのは、間違いなく携帯の向こうにいる人物のせいだった。

















『鏡、あったやろ。見たか?』

「鏡?」

『メールん場所、行ってくれたんやろ』

「ああ―――――――・・・・確かにそういや、あったかな。それがどうした」

『自分んこと見て・・・・・どう思うた?』

「寒いから隣で缶珈琲買っただけだ。何なんだ一体?」

『・・・・・いや、ならええわ』

「そうか。じゃあな」













 そう言うと新一はすぐに電源ボタンを押した。

 その後、暫く消えた液晶を見つめる。















 ・・・・・・・・・空を見上げた。



























 バカヤロウ。



 お前のこと思い出して、すげえ情けないツラしてたなんて言えるかよ――――――――・・・・・・・























 新一は思い出す。

 『鏡は嘘、つかへんよな?』と、確か平次は言っていた。





















 ・・・・・・・・・・・・・・・・鏡?



















 もちろん嘘は付かないだろう。

 さっきも『鏡の自分』は、服部に対してあからさまな好意を示していたから。















 と・・・・・・とすると・・・・・・・・・・・・?

























「『鏡の俺』を、あいつは何処かでみたのか・・・・・・・・・・・・・・・?」



























 新一は表情を変えずに体温を上げる。

 手の缶を落としそうになり、慌ててショルダーに入れた。























 ・・・・畜生、マジかよ・・・・・・・・・・・・・・



























 だとしたら恥ずかしいなんてもんじゃない。

 というか恥ずかしいに決まってる。

























 今みたいな顔を見られてた?

 いつ?













 おかしい。



 あいつの前で、鏡なんて覗いたことなんて・・・・・・・・・・・・・・・

























 再び青になる信号。

 新一は寒さと裏腹な熱い体温に動揺しつつ、身体を縮ませ家路へと急いだ。


























ひとくぎり

































「・・・・・・ええ加減もう気付いとるかな」

















 指定席に座り、ひと息付いた平次が呟く。









 新一の事だ。

 きっとメールの通りにあの場所へ行って、鏡を覗いた筈。



 そして、その意味を考えながら・・・・・・・・・・・

 もしかしたら自分がいるかもしれないと、少しは考えてくれたに違いない。















 平次は本人に見せたかった。

 自分の事を思ってくれてる時の、やわらかなあの表情を。

























「いつかホンマに――――――――・・・・・・見せて欲しいなあ」























 段々と重くなる瞼マブタ。

 大きく欠伸をすると、視線を窓の外に移す。





 景色は、見えない。

















 新大阪駅まで約二時間。

 平次は目を閉じると、そのまま眠りに入っていった。