許せない理由
・・・・・・・『江戸川コナン』から『工藤新一』に戻って、体質が変わった。
骨が縮んだり、細胞が若返ったり。
そんな到底ありえない事実があったのだから、仕方ないのは解ってる。
何度も強い解毒剤を試し、その度に免疫が付いて、更に強い薬を服用していたのだから、どう考えても身体は弱っていった。
けど。
まさか、戻ってからの生活に支障を来すとは思ってもいなかった・・・・・・

「風・・・・・強いなー」
ガタガタ揺れる窓。
梅雨の合間の、湿った空気。
・・・・・今日は晴れるって予報だったのにな。
朝のニュースを思い出しながら、新一は洗濯物を取り込み空を見上げた。
「なんや、渇いてへんな」
「しょうがない。乾燥機かけるさ」
「せやったら貸し」
「やってきてくれんの? 珍しい」
今にも雨粒が落ちそうだ。
16時過ぎまで待ってみたが、これ以上は干しておいても無駄だろう。
息を付きながらカゴを抱えると平次が庭へ出て来た。
何故か、キョロキョロしている。
「何ぞしとらんと、落ち着かん」
「情けねえな」
「止めよ思て努力しとんねん。茶化すなや」
「そうだな。近寄ってもニオイねえって事は―――――・・・・あれからずっとか?」
「お、おう」
新一は平次の口元に近付く。
少しだけ自分より背の高い彼。
くんくんと犬のような仕草をすると、急に後ずさった。
・・・・・新一は、微笑う。
「よし。今日は泊めてやる」
「ホンマ?」
「約束だからな。その調子で完全に止めろよ」
「解っとるがな」
「んじゃ、宜しく」
ほいと洗濯かごを渡す。
家へ入り、新一はそのまま二階へ上がった。
・・・・・背中に平次の視線を感じる。
彼の視界から見えなくなったのを確かめると、深呼吸して自室の扉を開いた。

『新一~ ゴメン、かーさんに用事頼まれちゃって、行けんの夕方くらいになりそう』
「解った。でも泊まりは大丈夫なんだろ」
『あったり前じゃん! あ、白馬の奴も一緒に行くから―――――・・・・・・・とにかく行く時、連絡する。けど買い出し・・・・・・』
「それは大丈夫。服部いるから」
部屋に入ると、携帯が鳴っていた。
快斗からだ。
今日は6月20日。
快斗の誕生日を明日に控えた今夜、気心が知れたいつもの四人で飲み明かす予定になっている。
本当は昼過ぎにこの家へ快斗が来てて、一緒に夕食の買い物に行く予定だったのだが・・・・・・
まあ、祝う相手を買い出しに付き合わせるのもどうかと思っていたから、結果的には予定より早く平次が来てくれて良かった。
『それじゃ後で』と言うと携帯を閉じる。
そして、ベッドに寝ころんだ。
「・・・・・・・・あいつホントに禁煙してんだ」
天井を見つめる。
今さっき確かめた、平次を思い出した。
この前会った時は半径1メートルにも寄りたくなかったのに。
数センチの距離に近付いても、少しのニオイも残ってはいなかった。
それは。
・・・・新一が大嫌いなタバコのニオイ。
『コナン』から『新一』に戻って、体質が変わってしまった。
それまでは父親も吸っていたし。
慣れてはなかったけど、嫌いと言うほどでもなかったのに。
警視庁に寄ったある時。
色々な種類の煙が充満する中、新一は初めて目が開けられない状況に陥った。
それからは過敏なほどタバコに反応する様になり。
・・・・・・長くその状況に置かれると、目眩を起こして倒れるほど。
「・・・・」
自分のそんな状態を自覚し暫く経った時だった。
平次が、喫煙している事実を知ったのは。
それは数週間前。
三ヶ月ぶりに、警視庁で会った時だった。

『まいった・・・・今日はまたスゲエ煙だ――――――――――・・・事件も続いてるし、しょうがねえけど』
最近、各地で起きている未成年の傷害事件。
夏が近付くにつれ、新一もいつもの事だが出くわすことが多くなっていた。
必然的に警視庁に来るのも多くなり。
何時間も、ひとつの部屋に拘束されることもしばしば。
・・・・・・今日も大学が休みなのもあって、朝から座りっぱなし。
加えて。
色々なブランドの煙を全身に浴び、間接的に吸いっぱなしだった。
『休憩はあと5分か・・・・外の空気、吸ってこよ』
トイレで目を洗い、目薬を差してひと息。
腕時計を確かめてから廊下へ出る。
そして入り口近くの自販機で缶珈琲を買うと、高い陽射しの元へ向かった。
・・・・と、その時。
太陽を背にして見知った男が歩いてくる。
『―――――・・・・・服部?』
『おー 工藤やん! 久しぶりやな~』
『何しに来た』
『ツレナイな。用がなきゃ来ちゃイカンか』
『ここは警視庁だぞ?』
『しゃーないやろ。親父には逆らえへん』
『へ? 本部長、来てるのか』
相変わらずの新一の反応。
学生の身で警視庁へ出入りしているのはお互い様なのに、おかしな会話だ。
ふと、平次は新一の手元を見た。
『ちゃうちゃう。例の事件、俺も奈良で出くわしてな、オヤジ通して呼ばれたんや。話聞きたいて』
『・・・・・ああ、そうか』
『今休憩か? 俺も、何か飲もかな』
『―――――・・・!?』
今日はまた暑い。
帽子を取りながら、缶珈琲を目に留めると平次は新一の脇を通った。
・・・・・・・その時ふわりと匂ったもの。
それは、確かに嫌いなニオイだったから新一は目を見開いた。
『・・・・・・・どうしてお前まで』
『は? 何が』
『おーい工藤君! って、あれ? 服部君?』
『あ。高木はん、どーも』
『そうか、そろそろ着く頃だったな。じゃあ二人とも、そろそろ始めるから』
『あ、はい』
煙草を吸ってるんだ?
そう続けようとしたが、高木刑事が休憩時間の終わりを告げに来て遮られた。
タイミングが狂わされた新一。
こうなっては、もう聞けなくなってしまう。
・・・・・それから数時間。
新一は再び気が滅入る空気の中、信じがたいその事実が頭から離れなかった。

『服部』
『んー?』
『・・・・お前、いつから吸ってんだ?』
その帰り。
刑事課の人たちに誘われ、飲んだ帰りだった。
22時過ぎの米花町。
工藤邸へと歩いている時に、新一はようやくその言葉を出した。
さすがに目上の人が吸っている場所ではやらないのか。
飲み屋ですら、取り出してなかったけど。
・・・・・・・まわりくどいのは嫌いだから、直接聞いた。
『吸うて?』
『とぼけるな。どうしてだ』
『―――――・・・・・さすがに工藤には隠せへんか』
『悩みでもあるのか? だったら話せ。聞くくらい出来るぞ』
平次も面食らったようだ。
そりゃあ、ハタチも過ぎてるのにとやかく言われても・・・・・と思ったのか。
少し、困った顔をした。
『なきゃ吸っちゃイカンか?』
『信じられねーんだよ。剣道やってるし・・・・・それに嫌ってただろ、タバコ』
『ああ。今でも嫌いやな』
『ならどうしてだ』
『・・・・どうしてて聞かれてもなあ』
新一は睨んだ。
まさか、と思った。
こいつが煙草を吸っている姿なんて、似合うだろうけど信じられない。
それに知ってる筈だ。
スポーツをやってる身体なら、どんなにマイナスになるかぐらい。
・・・・・・・そこまで自己管理できないバカだったんだろうか?
新一は足を止める。
そして瞬間、目を閉じた。
――――――――――・・・・・本当に腹が立つ。
本当に、こいつが。
『・・・・服部』
『吸う言うても、稽古ない時ちょおやるくらいやぞ』
『別に、俺の身体じゃねえから構わないけど――――――――――・・・・・って言いたい所だがな。タバコは、吸ってる人間より吸ってない周りの人間に害を及ぼす。そのニオイや煙は、苦手な人間にとって耐え難い苦痛にしかならない。それくらい、知ってるよな』
・・・・・・・・俺が好きな『服部平次』なのだろうか。
『・・・・ああ』
『ハッキリ言う。俺は、それを苦痛に感じる側だ』
『へ・・・? け、けどそんな素振り、みじんも・・・・・・』
『警視庁や飲み屋で俺の我がまま言う訳にいかねえだろ。みんな目上の人だし、我慢くらい出来る。けどな』
新一は再び歩き出す。
赤信号に気付き、止まってまた平次に視線を移した。
そうだ。
好きだからこそ、許せない。
新一はとっくに知っていた。
服部平次が、自分に惚れている事実を。
しかも彼が自覚するより先に。
・・・・・・・でもまさかタバコに手を出すとはな。
失敗した。
自分のこの状態を、こいつには知らせておくべきだった。
というかさっさとモノにしとけば良かった。
好きと自覚したのは自分が先だった。
・・・・・自分への気持ちを隠そうとしている平次を、面白がっている場合ではなかったのだ。
だから言う。
そうして、止めてもらう。
『お前の喫煙だけは、絶対に許さない』
・・・・・・・・・じゃないと、このままじゃキスも出来やしねえ。
『へ・・・・?』
『止めなかったら二度と家に泊まらせない。覚悟するんだな』
『ちょ、ちょお工藤!?』
『強要してる訳じゃない。別に今度からホテルにでも泊まれば良いんだし、好きにすればいい』
新一は嫌味なくらい綺麗に微笑う。
青信号を確認し、歩きながら。
平次はもう何も言えない。
『工藤に言われんでも、もう止めよ思とったわ』
『どうだかな。とにかく半径1メートル以内に近付くな、目眩がする』
『そ・・・・そんなにニオうんか?』
くんくんと自身の腕などを嗅ぐ平次。
けれど、喫煙者にそのニオイが『いやなもの』と解る筈はない。
『今日は仕方ねえから泊まらせてやる。ただし、下の書斎で寝ろ』
『は? あそこの何処で寝ろ言うんや?』
『布団は上から自分で運べ。解ったな』
『・・・・』
工藤家で喫煙が許されている場所。
それは、父親の部屋である書斎だけだ。
・・・・・・・・これだけ言えば二度と吸わないだろう。
新一は微笑うと、すっかり気落ちした平次を背に先を急いで行った。

「じゃあ後は、キッカケでも作ってやるかな」
あれからひと月。
約束を守り禁煙している平次に、新一は宿泊許可を出した。
もちろん計画通りだ。
新一は、勢いを付けて起き上がる。
・・・・・・・さっきの様子からして、ますます自分に熱を上げているのは間違いない。
そりゃそうだろう。
会えない日々は、より想いを強くするのだ。
とにかく。
新一は平次が滞在するこの数日の間に、さっさと先へ進もうと決めていた。
「俺も我慢の限界だっつーの・・・・」
新一は、最近よく見る夢があった。
鮮やかな映像。
フルカラーのそれは、あまりにもリアルで。
・・・・・・決して人には言えない内容だ。
「気を取り直して、買い出しに行くか・・・・・」
そうして深呼吸。
これから、食料を調達しに行かなければならない。
バカみたいに悶えている場合じゃないのだ。
新一は着替えを済ませる。
そうして、再び大きく息を吸うと階段を下りて行った。

「服部、行けるか?」
「おう」
「魚料理以外っつったら肉と野菜か――――――――――・・・・・・ん~ どーにかして食わせたいな。なんか方法、考えろ」
「無理やろ。あいつ、前にすり下ろしたイワシも感知したし」
「日本に住んでて魚食えねえのって、食の楽しみ半分は損してるよな」
「ホンマやな~」
リビングで平次が待っていた。
明日は21日。
一般的に夏至と言われ、一年で最も昼が長い日だ。
と同時に、二人にとって大事な友人の誕生日でもあった。
「あれ」
「どうした?」
「これて・・・・・」
「ああ、快斗の忘れ物。うち禁煙で吸わせねえから、玄関に置いとくんだけど良く忘れて帰るんだ」
「・・・なぬ?」
靴を履きながら、ふと見た先にあったのはタバコの箱。
それについて問う平次に新一はサラリと答えた。
・・・・・お。カチンと来てやんの。
それが解ったから、新一はまた楽しくなる。
「何してる。ぼけっとしてねえで、さっさと出ろ」
「・・・・・黒羽には寛容なんやなあ。俺には止め言うといて」
「は? そりゃ、あいつはお前じゃねえし」
「意味解らん。差別や差別!」
「るっせーなあ・・・・・・別に良いんだぜ。お前がこの家に入れないだけの話だ」
本気で怒ってるよ・・・・・・可愛いなあ。
ポーカーフェイスの新一。
でも、心の中でそんな事を思っているなんて平次は知るよしもない。
まったく、これでも俺を好きなの隠してるつもりなのかねえ・・・・・・
口の端だけで微笑い、新一はわめく平次を押しやる。
相変わらず湿った風。
頬に張り付く髪をかき上げ、門を出た。
平次が声を掛けてくる。
「オイコラ、何処いくねん」
「ワインも買うし、車で行くぞ。運転しろ」
「・・・・・」
「何か文句でも?」
駅へ向かわないのを変に思ったのだろう。
しかし、歩いて買い出しに行くわけがない。
・・・・・・・・何人分の食料を買うと思ってるんだ?
持って歩いて、帰れる訳ねえだろうが。
新一は言葉に詰まる平次を車庫へ引っ張ると、運転席へ押し込んだ。
「なにカリカリしてんだ。らしくない」
「せやかて」
「・・・・・・あの煙草は親父のだよ。うちは前から、書斎だけが喫煙可能スペースだったからな」
「へ?」
シートベルトをする手が、瞬間止まる。
そうして新一に向いた。
「一週間前に帰ってきてたんだ。で、あそこに忘れて帰っただけ」
「せやったら何で黒羽のやて嘘つくねん」
「そりゃ服部の反応が見たかったからに決まってる。お前、快斗に過剰な反応するもんな~ 何で?」
「な、何でて何じゃそりゃ?」
エンジンをかける。
直ぐに前に向き直った平次は、その質問に答えまいとしていた。
しかし。
「・・・・あいつがいつも俺のそばにいるからって妬いてんのか?」
「!?」
・・・・・・その言葉に、全身の体温が一気に上がった様だった。
「そうなの? へえ・・・・」
「あ、あのな工藤、」
「・・・・・・じゃあこの話は後でゆっくりな。とにかく早く行こうぜ、日が暮れちまう」
「ちょお待ち・・・・・・ええ??」
先へ進もう。
キッカケは作った。
後は、服部の出方次第だ。
・・・・・・・・・さあ。 覚悟決めて、かかってこい。
そうして新一は、よりいっそう綺麗に微笑った。
