駅まであと少し




 ひやりとした空気で目が覚める。

 ここ数日は、風が涼しい。





 新一はあくびをして起き上がると、窓を開けた。


















・・・・・・雨のにおいがする。




















そういや台風が来てるんだっけ。

思い出したように呟くと、薄暗い空を見上げた。

































ひとくぎり





































「あーもう、家中砂だらけだ」









 雑巾を絞りながら、新一は息を付く。

 今年の夏は暑い上に湿度が高すぎて、ろくに掃除をする気になれない。









 最近、まとまった雨が東京には降っていない。

 なのに風ばかりが強いから、いくら拭いてもすぐに家の中は砂だらけになってしまう。



 ・・・・・・ひとり暮らしには無駄に広いこの家。

 でも、流石に足の裏のざらざらとした感触に我慢も限界。









 だから今日は、午前中かけての大掃除に決めた。























「クイックル買っとくの忘れねえようにしないと」











 在庫がまだあると思っていたウエットタイプ。

 なのに使い切ってしまってたらしく、空の袋だけがひっそりと佇んでいた。



 涼しいとは言え、この家の床面積は多すぎる。

 だから何度も往復する事になってしまい、結局汗をかいてしまった。

















 ――――――――――・・・・まあ今日は雨が降ってるから、これで暫く大丈夫だよな。























 新一が居間の時計を見ると、もう12時を過ぎている。



 残るは書斎の前の廊下。

 大きく伸びをすると、バケツを持ち上げ奥へと進んで行った。


































ひとくぎり



































 ・・・・・・遠くで鳴っている音。

 それが電話の着信音だと気付くのに、数秒かかった。



 新一は、書斎から慌てて居間のソファへ飛び込み受話器を取る。










「は、はい工藤」

『おう工藤。やっと駅着いたわ』

「あ。服部」

『まだそんな雨降っとらんけど・・・・・・・・ホンマにわざわざ駅まで来るんか? 風、けっこう強いで』

「良いんだ。食料も買わなきゃなんねえし、珈琲も飲みたいしな」










 第一声は不覚にも言葉が途切れたが、すぐに息を整える。

 体勢を直しながら。











『そーか。せやったら、いつぐらいに来られるん?』

「そうだな、あと30分くらい時間潰しててくれ」

『了~解』

「じゃ」





















 会話はいつも短い。

 平次も新一も、別に長電話をするタイプじゃないのだ。



 必要な事を伝えたら、さっさと切ってしまう。









 とは言えメールもそんなに交わさない。

 パソコンならまだ両手が使えるが、二人とも携帯の特殊な打ち方はどうにも慣れないでいる。



 かと言ってわざわざパソコンを開くのも面倒。



















 ・・・・・・・だから結局、どちらも『ほどほど』だった。





























「さてと。片付けて着替えるか」






 ようやく素足で歩いて気持ちのいい感触が戻った。

 ぺたぺたとそれを確かめながら、新一は雑巾を干して手を洗う。



 ついでに顔もさっぱり洗い直し、冷蔵庫から缶珈琲を取り出し一気に飲んだ。
































ひとくぎり



































 ・・・・・・玄関を出ると身体に涼しい空気を感じる。

 夏が嫌いな新一にとって、この気温は天の恵みだ。



















 さて。

 駅までは徒歩15分の道のり。



 この雨なら普段は車を使うが、今日は歩く。








 雨が降っていて。

 台風が、来ると知っていて。



 決して良くはない足元を、水溜りを気にしながらでも、歩くのだ。



























 ・・・・・その原因は。









 

























「うわ。まーた降ってきた」






 急に雨足が強くなってきて、慌てて傘を差す。

 たすき掛けしたショルダーから、携帯を取り出し時間を確かめ、走り出した。


































ひとくぎり



































「あら、工藤君」

「宮野」

「この雨にお出かけ?」

「・・・・別にいいだろ。何だその不思議そうな顔は」








 阿笠邸を過ぎた時に見知った顔に出会った。



 新一が『コナン』として過ごしていた時、同じく身体を小さくしていた『灰原哀』。

 本名、宮野志保だ。





 あの頃は肩の当たりで切っていた髪も、今は腰に届くほどに長い。

 そして元の身体に戻ってからも博士の好意でその家に同居している彼女は、米花町ではかなりの有名人となっていた。







 それは。

 新一の隣にいても遜色ない、それ所か相乗効果を生み出すその『美貌』。














「だって珍しいじゃない。どういう風の吹き回し?」

「お前こそ」

「私は研究室に行ってきた帰り。台風が近付いてるから、早めに帰ってきたのよ」

「あ、そ・・・・」






 立ち止まって話しを交わす二人。

 すると志保の後ろからやって来る車に気付き、新一は彼女を壁際に寄せると傘を振り下ろした。



 同時に、泥水がそれに向かって跳ねる。

 その代わりに雨水が彼らを濡らした。










「・・・・・ありがとう。でも、出掛ける前なのに濡らしちゃったわね」

「そのうち渇くだろ。それよりこの道、水たまり多いから気を付けろよ。じゃあ急いでるから」

「ええ」

「またな」












 こういう新一の機転は流石というか何というか。

 志保もこの風貌だから、色々と『そういう』扱いをされて来ているから解るのだが・・・・・・・・








 新一にとっては『単なる動作のひとつ』なのだ。
















 ちょっと美人とみると世の中にはわざとらしい男どもが多い中。

 こういう反応をするのは、この目の前の名探偵くらい。



















 ・・・・・いや。



 その仲間達も、そう言えば。






















「工藤君」

「ん?」

「今度またみんな来た時、遊びに行ってもいいかしら」

「みんな? あー、快斗とか白馬とか服部とかか」

「ええ」

「いつでも来たらいいさ。アイツらもお前の事、気に入ってたしな」













 もう背を向けていたのに、きちんと振り返って返事をしてくれるなんて。

 彼が『江戸川コナン』として過ごしていた頃には、見た事なかったのにと――――――・・・・志保は目を細める。

























 ・・・・・・・彼らの存在は本当に大きいみたいね。































「良かった」

「じゃあな」























 そういうと新一は再び背を向け走り去る。

 志保はその背中が見えなくなるのを確かめると、小さく微笑った。




































ひとくぎり







































「やべ。電話しとこ」








 予定では今ぐらいに駅に着いてる筈だった。

 どう急いでも、あと10分はかかる。



 新一は、携帯を取り出してメモリダイヤルを押す。








『はいよ』

「あ、俺」

『着いたん?』

「悪い、あと10分くらいかかりそうなんだ」

『そーか。ええで、スタバに入っとるわ。ゆっくり来いや』















 新一は約束の時間に遅れたことがない。







 『ない』。というのは違うかもしれない。

 ただ、遅れる場合には必ずその前に連絡を入れるのだ。





 平次もそれは同じで。

 今では携帯電話が普及したから、便利な世の中にはなっているけど。





















 ・・・・・・・『時間』というのがどんなに大切か知っているから。



 彼らは、互いにそれを大事にしていた。































「ああ。ごめん」

『んー』








 電話を切ると、濡れないようにショルダーの奥に放り込む。

 傘の雨水を一度二度落とした。



 次の角を曲がれば後は真っすぐ行くだけだ。

 新一は横断歩道を渡り、本屋の前を通り過ぎた。























「工藤君じゃないか」

「?」

















 ・・・・・過ぎ、ようとして。

 再び話し掛けられる。



















 振り向くと、店の軒下からひょっこりと顔を出す背の高い人物。

 『コナン』時代から何かとお世話になっていた、高木刑事だった。













「あれ、高木さん。珍しい所で会いますね」

「実はちょっと、聞き込みにね」

「ここら辺で何かあったんですか?」

「でもまあ、大したことじゃないから」

「そうなんですか・・・・・」






 そういうと新一は視線を少し逸らした。

 時計を気にしているのが解り、高木は言葉を出す。









「引き止めてごめん。急いでるみたいだね」

「え」

「けど。何もこんな雨の中、出かけなくても」

「そうなんですけどね。ほら、電話鳴ってますよ」

「あ、ホントだ」

「じゃあ失礼します」















 雨が激しくなってきていた。

 そのせいか、高木は鳴っている音に気付けなかったらしい。



 しかし新一には聞き取れた。

 音楽の才能は無いのに、耳は良いのだ。

















 慌てて電話を受け去ってゆく高木。

 その背中を見送りながら『あ』、と声を出した。

























「やば、マジで急がねえと」













 腕時計を見て時間がないのに気付く。





 駅まであと少し。

 雨は強いけど、これくらい何でもない。















 ・・・・・・・新一は小さく深呼吸すると、先を急いだ。


































ひとくぎり





































「おわー・・・・・・えらい降ってきたなあ」



















 手元の雑誌をめくりながら、目の前の窓に打ち付ける雨を見つめる。





 台風が接近中。

 これから夜。更に朝にかけて酷くなるのは分かり切っている状況で。









 新一は何故か『駅まで行く』と言う。





















 それはこういう雨じゃなくても、一緒に出かける時などはいつもで。



 ・・・・・・理由を聞いても、ただ微笑って返されるだけだった。



























 雨が好きっちゅーわけでもなさそやし。

 買いモンある言うクセに、歩いてくるし・・・・・・・





 ・・・・・まあ今日は涼しいほうやけど。

 どーせ工藤んち行くのに、わざわざココまで来ないで家で待っとればエエやんなあ。















 俺かて荷物、あんねんで?

























 平次は窓に向かって息を付く。

























 ――――――――――・・・・・・ホンマ、変なやっちゃ。































「ん?」









 すると窓ガラスの向こうに、その新一が見えた。

 雨で傘も差してるから、顔まではハッキリと見えないけど。



 あのシルエットは『工藤新一』に他ならない。















 ・・・・・・しかし誰かと一緒らしい。

 頭ひとつ分低い傘が二つ。



 それから覗く足が、女性たちであることを示していた。



















「なーにしとんじゃ・・・・・」













 恐らくファンだろう。

 あの仕草から察するに、適当に返したら後で何を言われるか解らないたぐいの。



 下手に受け答えすると、ブログなどネット上で叩かれるご時勢だ。

 少なからず経験済みの平次は『ちょおヤバそやな』と感じた。







 だから、携帯を取り出して新一のそれを鳴らす。



















『もしもし、悪い、今・・・・』

「アホウ。そのままフェイドアウトして来いや」

『え?』

「事件の連絡とか急用とか、何とでも理由つけて消えられるやろ。こっから丸見えやぞ、お前」

『わ、解った』











 すると窓の向こうの新一は、ひと言ふた言彼女達に声を掛けてその場を離れた。



 明らかに残念そうな女の子達。

 新一の姿が曲がり角で消えたのを確かめると、騒ぎながら駅に戻って行った。





















 ・・・・・・暫くして、後ろの入り口から新一がスタバに入ってくる。

 窓際の平次を見つけると、疲れた様に微笑った。











「わり、助かった」

「適当にあしらえや。ホンマにもー」

「この天気だし傘だし、帽子なくても平気だと思ってたんだけどな・・・・ああちくしょ、店の近くウロウロしてたら更に強く降りだして来やがったぜ」

「あのままやったら、あの子らまで店に付いて来とったもんな~ 有名人は大変や」

「お前もだろ。つうか、もういねえよな?」

「駅ん中消えよったし、大丈夫ちゃうか」

「はー・・・・ なんか駅に付くまでが遠かった」













 ぼやきながら窓に面して横並びの席に座る。

 新一は窓から景色を見るのが好きだったから、待ち合わせの時はいつもこの席だった。















「喉渇いた。買ってくるけど、お前まだ何かいるか?」

「せやったら『シェイクン レモン グリーンティー』頼むわ」

「・・・・珍しいもん飲むんだな」

「なんや暑いし。新商品って書いとるし」

「じゃあ俺はこの赤いのにしてみようかな」






 新一が選んだのは『シェイクン レモン パッションティー』。

 ナチュラルハーブティーとレモネードをシェイクしたものらしい。



 どちらにしろ、珈琲ではなく紅茶系だ。

 だから平次は少し驚く。






「ほー。珈琲飲みたいとか言うてなかったか?」

「走ってきたから暑いんだよ。それに、新しいのは一通り試すことにしてるんだ」

「ホンマ好きなんやなー」

「まあな」













 そう答えた新一は今日初めて見る笑顔で。

 見慣れている筈の平次も、ちょっと見惚れてしまった。


































ひとくぎり

































 駅前にはスターバックスがある。

 そこで待ち合わせするのが、いつものパターン。



 それは誰とでもそうだけど。

 特に出掛ける用事もなく、ただ家に呼ぶ時でも『平次』に対して新一はその行動を取る。



























 理由は、ただひとつ。



 『平次』だからだ。





















 駅までの道のりは歩いて15分。

 その『15分』が、新一には何よりも楽しみな時間。



















 ・・・・・・それが雨でも暑くても。



 確実に『近付いてゆく』感覚が、本当に掛け替えのない想いを自分に与えてくれる。































 会計を済ませ、飲み物が渡されるまで少し待つ。

 ちらりと窓の方へ視線を移すと、平次が何やら携帯を操作していた。





























 ・・・・・あ。



 見なくていいの、見ちまった。































 視線を戻し、小さく息を付く。









 平次は他の人間といる時、電話が鳴らない限り携帯を触らない。

 例え鳴っても緊急の場合でなければ出ない。







 けど。

 今は自分はここにいるのだし、席に彼しかいないのだから、メールチェックくらいの操作はするだろう。



 自分でもそうする。

 だからこそ。































 ・・・・・・・見てしまった事を、後悔した。





































 自分が知らない彼の世界。

 それは必ず存在するのは解っているけど。



 やっぱり、知りたくないものだ。



















 ・・・・・・その事に気付いたのも、いつだったろう。





































「お待たせしました」

「あ、はい」










 店員からの言葉で新一は我に返る。

 内心慌ててそれらを受け取ると、ひとつ深呼吸をして平次の所へ向かった。



 その時には、既に携帯の姿はない。











「ほらよ」

「おおきに」

「すっげえ窓、揺れてんな。こんな時に外出る奴の気が知れねえ」

「そうやな。お前ん事やけどな」

















 空はちょっと薄暗いけど。

 まだまだ、今日は終わらない。

















 これから夕飯の食料を買って。

 雨が小降りなら、服部は嫌がるだろうけど歩いて帰ろう。







 まあ。



 土砂降りになったら、タクシーという手段もある。





























 ・・・・・・・この気持ちを言うつもりはない。

 この関係を、崩したくない。





 だから。



























 ・・・・・・・・悪いけど、この理不尽な行動には付き合ってもらうぜ?































 そう心で呟きながら。

 冷たいそれを、喉に通した。








































Fin