『で。いつ来るんだ』

「え?」

『今年もこっちへ来るんだろう? 父さんも何とか休みが取れそうだから、久しぶりにロンドンの別荘に行こうかと母さんと話してるんだが』

「・・・・・そ、それがさ。今年は蘭が行けそうになくて」













 4月の終わり頃。



 月に一度、恒例の近況報告をしていた新一。

 来るだろうと思っていて案の定来た『その話』を、どうやってかわそうかと脳細胞を総動員して考えていた。













『別に彼女が来れなくとも、お前が大丈夫なら良いだろう?』

「ごめん、今年は行けない」

『・・・・・どうしてだ』

「友達が祝ってくれるって言ってんだ。俺の誕生日、だから」

『新一』











 電話の相手は工藤優作。

 新一の父親で、世界的に有名な推理小説『闇の男爵
(ナイトバロン)
シリーズ』の作家だ。



 彼は、数年前から妻の有希子と共に活動拠点を米国へ移していた。









 本当なら新一も共に暮らすはずだった。

 けれども日本を離れたがらない理由があるらしく、新一だけこの家に残ったのだ。













 ・・・・・・・その理由が解らない両親ではなかったから、心配だけれど望みを聞いた。

 ただし、必要以上に他人を頼りにせず、正月や夏休み等の長期休暇や行事は家族と過ごすという約束で。


 
中でも息子の誕生日というイベントは、母親の有希子が本当に楽しみにしていて、毎年ロスの家で盛大なパーティーを開くのだ。

















「・・・・・母さんには悪いと思ってるよ」

『友達と過ごすのが駄目だと言ってるんじゃない。祝ってくれる仲間がいるのは良い事だ。でもな、これはお前が言い出した『約束』だった筈だ』

「――――――・・・・そうだけど」





















 新一の声が小さくなる。









 解ってる。

 未成年の自分が、日本でひとり暮らすことを許してくれたのは、その『約束』があったからだ。



 けど。



















 だけど――――――――・・・・・今年は・・・・・・・





















『まあ・・・大学生にもなって親と一緒に誕生日を過ごすのが恥ずかしい気持ちも解るが』

「そうじゃない、俺だって父さん達に会いたいけど」

『また電話する。もう一度考えておくんだ、いいな』

















 そうして電話は切れた。

 新一は受話器を置くと、ソファに腰を下ろす。



 膝を抱えて座り、両手を合わせ。



















 ・・・・・そうして口唇はあるひとつの名を呟いた。



































「服部―――――・・・・・」

































 服部平次。

 それは、大阪に住む新一の探偵仲間だ。



















「・・・・せっかくお前が大阪に誘ってくれたのに」

















 脳裏に蘇る、あの夏の記憶。

 新一は目を閉じ――――――――・・・・・・未だ指に残るその傷を見つめながら、熱い暑いあの夜を思い出した。
















君がいたから[01]









 去年の夏。沖縄で事件が起きた。

 新一は容疑者の証拠を突き止める為、夜中ひとりで行動していた。



 慣れない土地。慣れない視界。

 甘く見ていたつもりはなかったが、うっそうと茂る雑草に足を取られ、つい声を出した時に気付かれてしまった。















 逃げる相手。

 追う、自分。















 ・・・・・・捕まえたと思ったその時、背後から声がした。

























「工藤!! 後ろや!」

「え!? ――――――――・・・・・うわ!!」













 振り向くと、刃物を持った男が新一めがけてその手を振り下ろしてくる。

 咄嗟に足でそれを蹴り飛ばすが、体勢を崩した新一は、そのまま浅い崖に落ちて行ってしまった。











 ・・・・・足音が遠くへ消えてゆく。

















「しくじった・・・・・痛てて・・・・ああ指切ったかな・・・・」

「工藤!! ひとりで勝手に歩くてどーゆう訳や!? 街灯もろくにないトコ、地元のモンでもないのに無茶しすぎやぞ!!」

「・・・・・服部、何でいるんだ」

「嫌な予感してな。後付けて正解やったわ」













 そう言いながら新一のもとに降りてくる平次。

 時間はもう23時を過ぎ、周りは殆ど闇だ。懐中電灯で足下を照らしながらゆっくりと近づいた。



 照らされ、瞬間の眩しさに新一は右手で顔を覆う。

 ・・・・・頬に、生暖かい滴を感じた。













「なんだ・・・・これ」

「おえ工藤、お前らえい血い出とるやないか!」

「血・・・・・?」













 何を言ってるんだろうと新一は思った。



 だって、痛みなんて何処にも感じない。

 ・・・・・そう言えば、さっきチクッとした気がするけど。









 



「うわ!? 何だこれ??」

「硝子の破片か何かで切ったんやろ。ここらへんゴミ、結構落ちとるからなー・・・・・こらーぱっくりいってもうたな」

「・・・・・全然痛くねえのに、すげえな」

「感心しとる場合か。気付かんで歩いとったら、出血多量であの世行きやぞ」















 右手の中指。その、第一関節。

 そこをざっくりと切り血が流れ出ていて、ここまで来ると痛みは感じず熱いだけだろう。



 とにかく右手を高く上げさせ、平次は首のタオルを取り傷口に巻こうとした。

 しかし思い出したように『あ。』と声を出すと、いきなりその指を口に咥えたから新一は驚く。













「な、何してんだお前!?」

「? なにて・・・・消毒やがな」

「――――――――・・・・も、もうちょっと優しく舐められねえのか!」

「痛いのくらい我慢せえ」













 確かにこんな所に傷薬も消毒薬もあるわけがない。

 だから、唾液が一番良いのも解ってる。



 けど。















 ・・・・・新一が驚き、そして今堪えているのは『痛み』ではなかった。



















 懸命に顔を背け、見られまいとする様子に平次は気付く。

 最後にぺろりと舐めると、指がびくりと跳ねた。



 吸い取った血を吐き出すと、平次はつい笑い出す。













「何がおかしい!」

「いややな~ 感じてもうたん?」

「ば、馬鹿言うな」

「隠さんでもええで。生理現象はしゃーないし」

「だから違うって言ってるだろうが!!」













 明らかに耳まで真っ赤だろう新一。

 暗くてよく見えないが、その表情は確かに肯定を示していた。



 だから平次は更に笑い、その指にキツくタオルを巻いた。

















「痛いっての!」

「たいしたことない思うけど、早くホテル帰って手当した方が良さそうやな」

「・・・・そうだな」

「全く――――――・・・・・だいたい何を急いどるんや。お前のしとる事は『勇気』やなくて『無謀』やぞ? 向こうがひとりと限らん事も予想付かなかったんか」

「そう、だよな・・・・・・・・」













 新一の言葉が止まった。

 付いてくる気配がないのに気付いた平次が振り向くと、茂みで倒れている身体が見えた。

















「工藤!?」















 懐中電灯では良く解らないが、顔色が悪いようだ。

 きつく巻いたはずのタオルに、染みがどんどん広がっていくのに平次は背筋が凍る。























 ――――――――――・・・・何や、こんな傷くらいで気い失うか?



 そんな酷く、ないやろ・・・・・・・・・?





















 平次は訳が解らない。

 でも、何となく救急車を呼ぶのは駄目な気がして、携帯で別の番号を押した。





 それは・・・・・

























「あ、阿笠のジイさんか? 俺、服部やけど」











 今回一緒に沖縄に来ている、新一の隣に住んでいる科学者の阿笠博士だった。











『どうしたんじゃ? こんな時間に』

「ジイさん、工藤がちょお怪我してもうたんや。指を切ったんやけど、その血が止まらんくて眼も覚まさへん・・・・・・どういうこっちゃ!?」

『なんじゃと?』











 腕の中の新一は目を開けない。

 いくら頬を叩いても気付かず、瞼もぴくりとさえ動かさない。



 平次は更に携帯に向かって叫んだ。











「まさか・・・・・抵抗力無うなっとるんか!?」

『服部君、とにかく場所を教えてくれんか。直ぐ行くから新一君の傷口から出来るだけ血を流さんようにな』

「解った。早よう頼むわ」













 平次は大体の場所を教えると電話を切る。

 そして考えた。











 新一は高校生だった時、ある事件に巻き込まれた際に飲まされた薬が原因で、身体を小さくされていた。

 元に戻るために、同じ薬を飲み小さくなっていた灰原哀という少女が、阿笠邸で解毒剤の開発を試みていた。



 幾度となく作られた試作品の薬。

 それらを、新一は望んで飲み続けて来たのだ。











 ・・・・・決して弱い薬ではないことは素人目にも明らかで。

















 ようやく薬が完成し、完全にもとの身体に戻ることが出来た新一と会った時―――――――・・・・・どこか今までと違う雰囲気を感じたのが気のせいではなかったのなら。





 もしかして今の新一は、少しの出血も許されなくなっているのではないのか?

 人間の身体にあるはずの治癒力が、なくなっているのだとしたら―――――――――・・・・・・・?





















「冗談キツイっちゅーねん!!」

















 染み出す血を、更にキツく自分のシャツを裂き締める。

 そうしてその身体を抱えて崖を登り、何とかアスファルトのある道へと出た。






























ひとくぎり



























「はい、これで大丈夫だと思うわ」

「・・・・・・・病院に連れてかんで正解やった訳やな」

「そうね――――――――・・・・・原因不明で調べている間に処置が遅れて、二度と目が覚めない可能性が高いわね」

「哀君と来とって良かったわい。しかしのう・・・・・新一君には口を酸っぱくして気をつけろと言って居ったのに」











 阿笠が息を付いてソファに座った。

 平次は『哀』と呼ばれた彼女を、じっと見る。









「・・・・・何?」

「いや、アンタ確か――――――・・・・・」

「ええ、宮野志保よ。博士は私が小さくなっていた頃の名前で慣れちゃってるから」









 新一から取った体温計を見て、平熱なのを確認しながら志保は平次の問いに答える。

 布団を肩口までかけ直すと、軽く息を付いて安堵の笑みを浮かべた。









 ・・・・・その表情に平次は彼女の『心』を知る。











「安心したら眠くなってきたわい。それじゃ、ワシは休ませてもらうよ」

「ああ。悪かったなジイさん遅うまで」

「私も失礼するわ。薬も効いてきて血も止まってるから、じきに目を覚ますはずよ」











 あくびをしながら部屋を出て行く阿笠。

 そして後に続いて扉に手を掛けた志保が、突然平次に振り向いた。





 薬を数個、渡される。













「え?」

「――――――――・・・・・いくら言っても駄目なのよね、工藤君。だからあなたが持っていてくれない?」

「・・・・・」

「一応彼にも渡してはあるんだけど、自分がこんな状態になった時に飲める訳ないのよね」

「もしかして・・・・・アンタも怪我したらこーなるんか?」

「私は彼ほど飲んではこなかったから大丈夫」











 その時の彼女の微笑みは、どこか哀しく。

 肩口まである栗色の髪を揺らし、部屋を出て行った。

















 ・・・・・・手のひらには、小さなカプセル。



 平次はベッド脇に戻ると、瞳を閉じられている新一の顔をしばらく眺めていた。