LOOK@ME[07]

「おっじゃまっしまーす・・・」











 カードキーを差して平次は中に入る。
 誰も居ないと思っても、ついそう口に出してしまうのが自分のクセだが・・・ふと視線を落とした先に見えた一足の靴に疑問の表情を浮かべた。











 快斗はまだ下で電話しとる筈・・・するとこれは誰のや?
 思いつつそっと中の方へ進んでいくが、現れた広いリビングからも誰の気配も無かった。




















「・・・?」











 不思議な感にとらわれ荷物をソファに降ろすと、ふと水の音が耳に響いた。
 顔を上げて目の前を見ると―――――・・・




















「く・・・くどう・・・・・・?」











 ・・・硝子の向こうの室内プールの縁に新一が腰掛けていた。



















ひとくぎり




















 平次は瞬間、息を呑む。











 未だ降り注ぐ日の光が水面と新一を照らしている。
 濡れた髪は肌に張り付き、身体を伝う雫も光を反射していた。











 ―――・・・ひと泳ぎして疲れているのか、顔を少し天井に向けて目を閉じ。
 薄く口唇を開けたまま、両足を水の中で動かしている。




















 ・・・どくん。




















「へ・・・?」











 平次はふと我に返り、心臓を押さえた。
 今感じた動悸に戸惑いながらも、尚も激しくそれは高鳴る。











 な・・・なんや、何やコレ・・・? ちょ・・・ちょお待てや・・・・・・?




















 ぶんぶんと頭を振る。
 すると中から声がして、平次は再び顔を上げた。











 ――――・・・驚いた事に新一が手を振っているではないか。











 何でや? あいつは、俺ん事まだ怒っとるんやないんか??
 それとも―――・・・もう許してくれたっちゅー事か?











 手招きする新一に、平次は不可思議な表情のままプールへの入り口へと歩いて行きガラス戸を引いた。
 途端にその声がハッキリと耳に届く。











「結構時間掛かったな。暑かったろ? 早くお前も着替えて来いよ」











 ・・・その極上の微笑。











 水に濡れて尚艶やかなその表情が、光に反射して眩しくて・・・平次は目を細めた。




















 ・・・・・・どくん、どくん。











 またや・・・
 平次は入り口に手を掛けたまま胸に手を当てる。











 変や。どないしたんや俺・・・?
 あいつの、あんな顔・・・・・・久々に見ただけやのに・・・・・・











 寒いくらい冷房が効いているはずなのに、平次は身体中が熱かった。
 そんな様子の平次に新一も変と思ったのか、再び水の中に入ると泳いで入り口の方まで近付いて来た。

 ここら辺は、立つと丁度胸の辺りに水面が来る。其処で、また平次に声を掛けた。




















「どうした?」
「・・・い・・・いやその、やな」
「!?」











 しかし平次の発した声を聞いた途端、新一の表情が変わった。
 










「工藤・・・?」
「お・・・お前、服部――――・・・!?」
「・・・へ?」
「何でテメエが居るんだよ!!? 快斗はどうした? 快斗だと思ってたのに・・・・・・何だよこれ!!」
「―――・・・」











 真っ赤になってそう言うと、新一は身を翻し水に潜ってしまった。



















ひとくぎり




















 ・・・・・・快斗の奴、余計な気ぃ回しやがって・・・・・・っ・・・











 水の中。

 対角線を潜水で進み、新一は息継ぎもせずに入口から一番遠いその場所に顔を出した。











 眩しい西日。
 頭上から注がれる熱さの中で、何度も深呼吸をする。




















 そりゃ―――・・・いい加減俺も仲直りしなきゃとは思ってたけど、でも・・・・・・




















 視界が良く見えてなかった。
 泳ぐから、コンタクトを外していた。











 ・・・・・・部屋の中に人影が見えた。
 自分の他は、どう考えても快斗しか居ないはずだった。だから、声を掛けた。











 でも段々近付く影の雰囲気が違うなあと思った。
 すると、声が聞こえた。

 それは紛れも無く間違え様もなく服部平次。
 しかし、突然の状況に―――・・・ついあんな事を口走ってしまった。




















「何でこうなんだろ俺―――・・・・・・」




















 無意識な行動には腹も立ったが、もう子供じゃないんだし、ある程度過ぎた時間は新一の中の怒りを鎮火させた。
 でもあれ以来、平次は電話はおろかメールのひとつも寄越して来なかった。











 ・・・あんなに突っぱねたのだから当然だ。











 だから、自分から素直に『もう怒ってねえよ』とでも言えば良かったのだ。
 直接話すのが無理でも、メールという手段が今は有るのだから、それでも。











 ・・・・・・しかしそれが出来る様な性格の新一では無かった。



















ひとくぎり




















「工藤―――・・・」
「?」











 その時、頭上から声がした。
 顔を伏せていた自分のすぐ上からそれは聞こえ、新一は無意識に身体を強張らせた。











 ・・・何時の間にここまで来たんだろうか。
 その気配にも気付けない自分に動揺していると、西日を背にしたらしい平次の足が視界に入った。




















「ちょお話してもええか・・・・・・?」
「―――・・・」
「すぐ済むさかい、頼むわ」




















 新一は俯いたまま言葉を出さない。
 だから平次はそれを了解と受け取り、静かに口を開き始めた。



















ひとくぎり





















「―――・・・あん時の事やねんけど・・・・・・やっぱ記憶無いんや。スマン」
「・・・」
「寝ぼけとって、つい・・・何かしたんなら、謝る。せやから・・・・・・」
「・・・・・・」
「あ・・・あのー・・・・・・工藤?」
「話、終ったか?」
「へ?」
「――――・・・じゃ俺、もうひと泳ぎしてくっから」





















 新一の反応を待っていた平次。
 しかし、ちらと目線をくれたかと思うと―――・・・その姿は水の中へ消えていってしまった。

 何故か動けない。











 それは、新一に話をろくに聞いてもらえなかったからでは無く・・・・・・




















 ・・・ほんの一瞬向けられた視線が、あまりにも目に焼き付いてしまったからだった。



















ひとくぎり




















 どうしたってんだ俺は?
 何で、こんなに腹が立ってんだ?




















 ・・・・・・何でこんなに胸が苦しいんだ・・・・・・?




















 許そうと思ってた。
 あんな事くらい、とっくにどうでもいい筈だった。











 なのに・・・




















 新一はプールの中央で足をついた。
 揺れる水面に薄く映る自分が嫌で、手でかき消す。











 ・・・顔を、伏せた。




















 ―――・・・記憶に無い。
 あのキスを、あいつは覚えて無い。











 謝る? 寝ぼけてて、ついやったかも?
 











 解ってる。
 それくらい、そんなのは、俺にとってだって、どうでもいい事だった。

 そう。











 『バーカ。いつまでもんな事気にしてねーよ』
 そう言って、笑って許してやるはずだったんだ。さっきまで、そう思ってたんだよ、俺は。




















 ・・・・・・なのに・・・何で・・・・・・




















「待てやコラ工藤!!」
「!?」











 その時後ろから大声がした。
 新一が反射的にその声に向くと、大きな水しぶきが大きな音と共に見えた。











「・・・」











 呆けてると水の中をこちらに進んでくる影があった。
 それが、目の前に姿を現す。

 新一はそれが誰だか解っていたから、驚きもせずただその影を見上げた。




















「―――・・・服のまんま飛び込んでんじゃねーよ。バカかてめえは」
「工藤。怒っとるんなら殴っても蹴ってもええから、せやから・・・」
「・・・だから?」
「無視だけは、堪忍や」
「!」




















 その声はとても小さく。
 視線の先に、深い碧の目が見えた。

 静かな空間で――――・・・平次の髪から落ちた雫だけが、僅かな波紋と音色を聞かせている。






















 どうしよう・・・駄目だ、俺。

 新一は眩暈に似た感覚を知る。




















 ・・・・・・どうかしてる―――・・・こんなの、変だ・・・・・・こんな・・・・・・




















 何故か平次の瞳から逃れられない。
 蛇に睨まれた蛙の如く、身体が動かせない。




















 俺は―――・・・どうしちまったんだ・・・・・・




















「工藤・・・?」











 すると様子を不思議に思った平次が新一の名を呼んだ。
 その声はダイレクトに耳に響き、身体中を熱い衝撃が包む。

 ・・・新一は、自分の口が勝手に動くのを・・・他人事の様に遠くで感じた。




















「―――・・・そうだな。じゃあどうしようかな」
「・・・」
「俺と同じ思い、してもらおうかな・・・・・・」
「へ?」











 髪も肌も濡れ、薄く色付く口唇だけがいやに艶かしい新一。
 それに見惚れてしまっているうちに、平次の視界は塞がれた。




















「!?」





















 ・・・・・・生暖かい感触を口唇に感じる。











 そうして平次は、塞がれたのは視界だけじゃない事を悟った。



















ひとくぎり























「・・・・・・どうだ? 蹴るより殴るより効くだろ」
「な・・・何すん・・・」
「俺のそばに来たお前が悪い」




















 静寂の空間。
 僅かな水音と、互いの息遣い。

 ほんの一瞬の接触の後、真っ赤な顔をして何とか言葉を出した平次。
 しかし新一は無表情のまま目の前の男を睨んだ。




















「―――・・・っ」
「・・・・・・そんな顔したって駄目だ」
「ちょ・・・っ、工藤・・・!?」











 淡々と言葉を紡ぎながら新一は薄い布の上から平次の胸を撫でた。
 視線は決して目の前の瞳から離さず、両手をそのまま肩に滑らし首を抱く。

 ・・・水の中からの感触。
 雫が次々と滴り落ちるのを、目で追う。











 そのゆっくりとした動きに―――・・・平次は背筋がぞくりと震えた。




















「今度は服部の番だからな・・・・・・」





























 ・・・そう至近距離で微笑う新一は、今まで見たこと無い程の艶かしさで。
 言葉の意味が解らないまま、平次の口唇に再びそれは重なった。











「・・・っ・・・!」
「―――――・・・」











 目を閉じる事が出来ない。
 平次は、与えられるそれを振りほどけない。

 これは新一からの『罰』だ。
 それ程、新一は怒っている―――――・・・











 ・・・・・・こんなに震える程に。




















 工藤・・・・・・




















 触れてくる口唇は酷く冷たく。
 時折伝ってくる薬っぽい雫が2人の口唇を濡らす。











 今度は俺の番て・・・・・・?




















 思い返す今の言葉。
 やがて離れる新一。











 ・・・口の端だけを上げ微笑うその表情に、平次は暫く動けずそのまま立ち尽くしていた。



















ひとくぎり




















 それから直ぐ新一は水面から上がり、休憩用の椅子に掛けてあったバスタオルを羽織ると出口へ向った。
 すると丁度ガラス戸が開き、快斗が現れた。




















「あれ? 新一上がるの?」
「・・・快斗」
「うわちゃー・・・怒ってる?」
「お前、仕組んだな」











 顔に落ちる雫を拭いながら新一は快斗を睨む。
 ・・・でも『睨む』と言うよりもそれは、視力が悪い人間特有の仕草である『相手を確かめる為に目を細める』もので。

 だから、表情とは裏腹に口調は穏やかだった。











「ごめん・・・ホントは俺が引き合わせるつもりだったんだけどさ、直前に電話来て・・・平次、先に行かせた」
「―――・・・俺さ、水に入るからコンタクトしてねーんだ・・・・・・さっきお前だと思って話し掛けてたら服部だった。 も、サイアク」
「そ、それで・・・・・・平次は?」
「泳いでるぜ? 何か知らねーけど、物凄い勢いでクロールしっぱなし」
「・・・・・・はぁ?」











 言われて硝子越しにプールを見ると、水しぶきを上げながら影が動いていた。
 暫く覗いていると、水の真ん中で止まる。

 快斗に気付いたのか、こっちを向いて平次は手を上げた。











「はは。元気だなー アイツ」
「・・・じゃ俺上がるな。ま、ゆっくり泳いでこいよ」
「えー! 一緒に泳ごうぜ? 今日逃したら暫く逢えないんだし!」
「――――・・・解ったよ。じゃ、少し休んだらな」











 そう言うと新一は快斗の脇を抜ける。
 扉が閉まった音を背中で聞いていると、ソファの上に温くなったペットボトルが入った袋を見つけた。




















「何だこりゃ・・・」











 とりあえず新一はカフェオレの他を冷蔵庫にしまうと、冷凍庫に氷は出来ていたらしいのでそれをグラスに入れ、ボトルと共にソファに持っていった。











 ・・・液体を注ぐと氷の割れる音が響く。




















 ――――・・・ホントあいつら、仲良いな。
 











 硝子の向こうで喋ってる2人が解る。
 ・・・見えない視界でその表情が解らないのが、少し嫌だと新一は思った。

 自嘲気味の微笑。
 騒ぐ鼓動。











 ・・・口唇は他人の体温を知り、渇きを増す・・・・・・




















 畜生。
 まいったなあ・・・・・・





















 空はすっかり暗く。
 手元のグラスも、もう光に反射しない。




















 ・・・・・・今度はお前の番だからな服部。




















 お前が、考える番だ。




















 見えない平次を見つめる。
 そうして新一は珈琲を飲み干すと、グラスは其処に置いたまま再びプールへと入って行った。